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エレーナ・イシンバエワ 孤高の女王が更なる高みに挑んだ夜。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAkihiro Hayanami
posted2008/09/04 19:05
宙を舞いながら、笑った。たしかに笑っていた。最後のチャンスをものにして、エレーナ・イシンバエワは、世界記録を更新した。
設定したバーの高さは5m05。
2度のチャレンジは失敗に終わった。その都度、9万人の観客からため息がこぼれた。目の前のロシアの記者が頭をかかえた。
4m85をクリアした時点で優勝は確定していた。残されたのは、世界記録への挑戦だけだった。
3度目。最後の跳躍を前に、イシンバエワは頭からタオルをかぶり、集中を高めた。
タオルを取り去ると立ち上がり、ポールを手に取って助走路へ歩を進める。
バーを見据える。呪文を唱えるように言葉をつぶやく。
「Do it, do it, just do it. Just be confident, I'm OK.」
──やれる、やれる、きっとやれるわ。さあ自信をもって。私はやりとげられる。
スタンドからの手拍子が場内に鳴り響く。あらゆる視線が降り注ぐ。この瞬間、スタジアムはイシンバエワのものだった。
意を決し、一歩踏み出す。走る。踏み切る。
宙を舞った。
体がマットに落ちてきた。バーはぴくりともしていない。マットに落ちるやいなや、立ち上がり両拳を握りしめると、絶叫した。
それに応えるように、大歓声が湧き起こった。「エレーナ!」。ロシアの記者は涙を流し叫んでいる。
「私は今も、アテネで金メダルを獲った瞬間の気持ちを覚えています。北京でもう一度あの気持ちを味わいたい、そんな思いでした」
興奮も覚めやらぬまま、イシンバエワは喜びを表した。
そしてこの大会への思いは、おそらくは次の言葉にこめられていた。
「誰が強い選手であるかを証明したいと思っていました」
15歳で体操から転向すると、2年後にはワールドユース選手権で優勝し、早くも頭角を現した。'00年のシドニー五輪出場こそ予選落ちに終わったが、 '03年に世界新記録を樹立する。翌年のアテネ五輪も世界新記録で金メダルを獲得し、名実ともに世界一の「ポール・ボールター」となった。以後も世界記録をたびたび更新し、女王の座に君臨してきた。
だがその歩みも2005年8月に5m01を跳んだのを最後に止まった。昨年のベスト記録は4m91にとどまった。記録が出ない重圧に苦しんだこともある。
理由は、昨年の大阪世界選手権で来日した際の言葉にあった。4m80で優勝すると、こう語った。
「誰か私にプレッシャーを与えてくれる人がいるといいのだけど」
勝負を争う相手はいない。いつも一人。彼女にしか分からない孤独である。
待望していたライバルは、五輪イヤーとなって現れた。アメリカのジェニファー・スタチンスキが今年5月に4m90、7月6日には4m92を跳んだのだ。
「イシンバエワに強敵出現」と世界のメディアは書きたてた。
イシンバエワの闘志に火がついた。
5日後、イシンバエワはローマの大会に出場する。今季最初の試合となったこの大会で5m03を記録。じつに3年ぶりとなる世界記録更新を果たした。
この大会で、こんなことを口にしたと言う。
「『イシンバエワは終わった』と言われて怒っていたの」
7月29日には5m04で再び更新。こうして迎えた北京で、イシンバエワは格の違いを世界に示したのである。
しかも最後に残された、ただ一回のチャンスをまるではかったようにものにしたのだ。
その精神力と集中力の高さは、常人のおよぶところではない。
戦いを終えて、こう語った。
「5m10をクリアするまでにはそれほど時間はかからないでしょう。次の大きな目標は2012年のロンドン。私はこれからももっと成長していける」
北京五輪での世界新記録をあわせ、記録更新は屋外で合計14度、室内もあわせれば通算24度。モチベーションの高まりによって再び頂点に君臨する者としての威厳を取り戻したイシンバエワの記録への挑戦は、まだまだ続く。
それにしても、いったいどこまで高く跳べるのだろうか。
イシンバエワは笑ってこう言った。
「私に限界があるとしたら、空だけね」