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濱口典子 ファイナルゲーム
text by
小川勝Masaru Ogawa
posted2004/07/29 00:00
「夢の舞台へ、いざ」
濱口典子の背中にはそう書いてある。裸の背中に書いてあるのではなく、白いTシャツの背中である。アテネ五輪に向けたジャパンエナジー体育館(千葉県柏市)での合宿、彼女はそのTシャツで走り、パスを受け、得意のフックシュートを決める。夢の舞台へ、いざ。この真っ直ぐで、いささか少女漫画的な言葉が、この人にはよく似合う。代表13年目。バスケットボールに限らず、日本の女子選手で、13年連続で代表を務め、2度目のオリンピックに挑むそんな選手は他にいない。
7月11日から25日まで欧州遠征。そして29日から仙台、山形、東京でブルガリア代表と3試合を行って、決戦の地に乗り込む。目標は、ナイジェリアとギリシャに確実に勝っての決勝トーナメント(8強)進出だ。
現在の代表12人は、昨年5月以来1人も変わっていない。ジャパンエナジーから8人、シャンソン化粧品と日本航空から2人ずつ。合宿での練習に緊張感はあるが、悲壮感はない。濱口は、合宿の日々が過ぎていくのを惜しみ、大切にしている。
「このメンバーでやれるのもオリンピックが最後だし、ここまで何かを一生懸命にできるっていうのも、これが最後だと思うんで」
濱口と大山妙子、楠田香穂里の3人は、今年3月のWJBLファイナルのあと、アテネ五輪を最後に現役から引退することを表明している。3人とも30歳。ともにジャパンエナジー4連覇の立役者であり、この4年間、常に日本代表の先発メンバーでもあった。
引退を決めた理由は三者三様だが、濱口の場合、'93年にマイケル・ジョーダンが最初の引退を発表した時と似ているかも知れない。体力の限界というわけではないが、国内リーグでやるべきことはやり尽した。今の濱口を、真に燃え立たせる目標はオリンピックだけなのだ。30歳を機に、バスケットボール以外の世界を見てみたい気持ちもある。ジョーダンは1年間野球をやった。そして復帰した。だが、濱口は復帰しないだろう。バスケットボールをやるのは、本当にアテネ五輪が最後だ。
彼女が初めて日本代表に選ばれたのは'92年、18歳の時だった。'96年のアトランタ五輪に出た時は22歳。代表で先発センターに定着したのはこの時からだ。アトランタ五輪での日本の7位入賞はあまり報道されなかったが、予選リーグで'92年バルセロナ五輪銀メダルの中国に、後半11点差を逆転勝ちしてのベスト8進出は、少なくとも、ブラジルに勝って予選リーグで敗退した男子サッカーと同じ程度には、評価されてしかるべき快挙だったはずだ。
183cmのセンターは、五輪や世界選手権に行けば一番小柄な部類だ。日本にも濱口より高い選手はいるが、濱口ほど走れる183cmはいない。また、左右どちらの手でも同じようにフックシュートが打てる選手も他にいない。そういうわけで、アトランタ五輪以来、彼女はずっと日本のNo.1センターだった。
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