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田臥勇太「未来への小さな決意」
text by
宮地陽子Yoko Miyaji
posted2004/11/18 00:00
2004年11月3日午後9時過ぎ、アリゾナ州フェニックス。歴史的な、その瞬間が訪れた。NBAレギュラーシーズン開幕戦のフェニックス・サンズ対アトランタ・ホークス、第4Q残り10分。背番号1、オレンジのサンズ・ユニフォームを着た田臥勇太がベンチから立ち上がり、クェンティン・リチャードソンと交代して試合に出てきたのだ。フェニックスのファンの間からも大きな拍手が起こり、初の日本人NBA選手の誕生を、地元ファンもいっしょになって祝ってくれた。
この時点でサンズは37点リード。前日、サンズのヘッドコーチ、マイク・ダントーニはチーム3番手のポイントガードである田臥が試合に出るとしたら「もしチームがいいプレーをして30点リードを取れば」と、半ばジョークのように言っていたのだが、その言葉のままに実現したのだった。
試合に出てすぐ、田臥が身長206㎝、自分より30㎝以上大きいアル・ハリントンのスクリーンにドスンとぶつかると、スタンドからどよめきが起こった。
「わざとぶつかって、観客を楽しませました」
試合後、田臥はそう言って報道陣を笑わせた。
夢であり、目標だったNBAのレギュラーシーズンの舞台。しかし、特に緊張することもなく、平常心でプレーできたという。
「気持ち的にはリラックスして、人生初のNBAの試合で、自分の形でプレーできました」と田臥。「去年に比べて自信がついたのだと思うんですけれど、まったく緊張しなかったですね。むしろ楽しく、(ベンチにいるときも)早く呼ばれないかなと思っていたんで、そのへんは精神的には強くなったと自分では思います」
10分間、アシストは1本だけだったが、稲妻のようなドライブインや、切れ味のいいパスで観客を十分に魅了した。フリースロー4本のほか、スリーポイントシュートを1本沈めて7得点。シュートが決まった瞬間にはチームメイトも立ち上がって喜んでくれた。
初の日本人NBA選手誕生というニュースに、日本は沸いていた。試合は急遽生中継が決定し、現地では30人以上の日本人メディアが取材、日本に速報を送った。NBAファイナルでもここまで多くの日本メディアが集まることは珍しい。ふだんはNBAに興味がない人たちまでが、この日ばかりは田臥勇太を応援し、声援を送っていた。
そんな大騒ぎの中で、当の本人だけは、はしゃぐこともなく冷静なのが印象的だった。
「今日は今日でこの試合は終わり。これからが本当に勝負なんで、自分の中で気持ちは切り替わって前を向いています」
まるでまわりの喧騒と一線を引くような、地に足がついた言葉だった。
こうも言った。
「立場的には保証もされてませんし、明日どうなるかわからない。このステージを目指しているプレイヤーはものすごいたくさんいると思うんで、本当に安心したり気を抜くことは決してできない。自分の中で常にそれを忘れずにやっているんです」
「他の日本人がNBAでプレーしているのを見たら、すごいことをやっているなと思うでしょうけど……。いい意味で自信を持ってやっていますけれど、危機感も持っていないと。どこかで気が緩んだりしたら、すぐにもう『いなくなっていいよ』っていう世界なので」
NBAの世界の厳しさを身をもってわかっているから、だからこそまわりといっしょになってはしゃぐわけにはいかないのだろう。何しろ、厳しい現実を毎日のように突きつけられる。開幕戦当日には、いったんロスターに入ったはずのチームメイト、ポール・シャーリーが解雇されていた。その前の週には、出番がほとんどないことに不満を持っていたベテランのポイントガード、ハワード・アイズリーが、チームとの契約買取交渉を成立させ、チームを去っていた。今日いる選手でも、明日はいるかどうかわからない。それがNBAの世界なのだ。
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