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リバプール“英国魂”の逆襲
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
posted2005/06/09 00:00
始めからリバプールには嫌な予感があった。
決勝の舞台であるトルコのイスタンブールは、イングランド人にとって忘れられない場所である。2000年4月に、UEFAカップ準決勝のガラタサライ戦を観にきたリーズファン2人が、トルコ人に刺されて死亡してしまったのだ。
原因はイングランド人のグループが、トルコ人の女性をナンパしたからだった。横にいた恋人が切れてケンカを売ったが、多勢に無勢ですぐにボコボコにされてしまう。しかし、偶然通りかかったトルコ人の友人がすぐに仲間を呼び寄せ、総勢60人の大ゲンカになったのだ。「人の女に手を出すことは、トルコでは死に値する」。イングランド人を刺したトルコ人は、今でも捕まっていない。これが両者の大きな遺恨となり、'03年のユーロ予選でトルコ対イングランド戦が行われたときは、イングランド人の入場が禁止されたほどだ。
そしてもうひとつイングランドにとって縁起が悪いのは、あのマラドーナがスタジアムにやってきたことだ。1986年のW杯でイングランドはマラドーナの “神の手”のゴールによって負けている。また、何か悪いことが起きるのではないか、とイングランドのメディアはこぞって取り上げたのだ。
その予感は、すぐに的中する。開始1分にカカがファウルを受けて、ミランはFKを獲得した。そのFKをピルロが正確にゴール前に蹴りこみ、マルディーニがノートラップでボレーシュートを決めたのだった。あまりにも早い時間での失点だった。
さらにミランの猛攻は続き、39分にカカ、シェフチェンコとパスがつながり、最後はクレスポが冷静に右足で叩き込んだ。44分にはカカのロングパスを、再びクレスポが決めてスコアは3対0となった。
イングランドから1000ユーロ(約14万円)のツアー費を払ってきたリッチなファン。安くすませるためにブルガリアに深夜便で飛んで、陸路でトルコにきたお金のないファン。彼らの金と努力は、あっさりとイスタンブールのボスポラス海峡に捨てられたはずだった。
しかし、諦めの悪い人物が一人だけいた。リバプールのベニテス監督である。彼は控え室で、ひたすら選手を叱咤激励した。「とにかく早い時間にゴールを決めろ、そうすれば何かが起こる」。リバプールの選手たちは静かに監督の言葉に聞き入り、後半のピッチにミランよりちょっとばかり遅れて登場した。
忘れがたき戯曲の始まり。
後半、リバプールはドイツ代表MFのハーマンを投入し、4-5-1から、3-5-2にチェンジした。3バックといっても、日本代表のように間延びしたものではない。コンパクトで、サイドがアグレッシブで、とにかく点を取るためのシステムだった。ジェラードがトップ下にあがり、さらにルイス・ガルシアが激しくFWと中盤を行き来したことで、ミランの守備は混乱。そして一瞬のスキが生まれ、リバプールの1点目が決まる。54分に左サイドのリーセがクロスをあげ、ジェラードがヘディングでゴールを叩き込んだのだった。その2分後、スミチェルの強引なミドルシュートが、バロシュの脇をすり抜けて、ゴールに突き刺さる。
これでスタジアムの雰囲気も変り始めた。リバプールのサポーターが活気を取り戻しただけではない。トルコ人までもが、その勢いに流されて、リバプールを応援し始めたのだ。実はリバプールが勝ってしまうとトルコリーグの優勝チーム(フェネルバフチェ)は、CLの本戦ではなく予備戦からの出場になることが決まっていた。だが、そんなことも忘れ、トルコ人はジェラードらが放つ熱に飲み込まれ、スタジアムはまるでリバプールのホームのようになった。
3点目はPKだった。シャビ・アロンソが一度はPKをGKジダに弾かれながらも、そのリバウンドを落ち着いて決めた。これで3対3、試合は振り出しに戻った。カテナチオの国のトップクラブが、まさか3点のリードを追いつかれようとは……ミランの歯車は完全に狂ってしまった。
いったい何がここまで、リバプールを突き動かしたのだろうか?― 3つの異なるクラブでCL優勝を果たした“優勝請負人”のセードルフは、試合前にこんなことを言っていた。
「イングランドのチームには、独特のスピリッツがあるんだ。試合前に静かにチームとしてまとまっているかと思うと、ホイッスルが鳴った瞬間に爆発する。まるで点火したかのように。それが、イングランドのスピリッツなんだ」
まさにリバプールは、その“英国魂”を持っていた。諦めることを知らず、騎士のように正々堂々と戦い続ける。延長戦に入ると、もう技術というよりは、メンタルの勝負になった。そしてPK戦になることが決まったとき、すでにどちらが優位かは決まっていたのである。
ミランはセルジーニョとピルロが立て続けにPKを失敗したのに対し、リバプールはリーセが外しただけ。5人目のシェフチェンコのキックをGKドゥデクがはじき出したとき、すでにリバプールの数人の選手はゴールに向かって走り始めていた。
試合後、優勝トロフィーの“ビッグイヤー”を嬉しそうに抱えて、ジェラードがミックスゾーンに現れた。
「前半がおわったときには、悲しい涙でトルコを去ると思っていた。ファンの応援が、オレたちを支えてくれた!」
スペイン人のベニテス監督の巧妙な戦術が基礎となり、イングランド・スピリッツが思う存分に爆発し、リバプールは5度目の優勝を果たした。
今回のベニテスや、チェルシーのモウリーニョ監督を見てもわかるように、今や戦術は優れていて当たり前の時代に突入した。戦術の次にくるもの― ――その重要性を今季のリバプールは教えてくれた