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「NYで闘うということ」
text by
平山譲Yuzuru Hirayama
posted2004/07/15 00:00
ボール気味の外角直球を空振りして2ストライクに追いこまれると、松井稼頭央は一瞬だけ俯いた。
メッツファンの唸るような溜息が、彼の一身にそそがれた。ファンは、2試合前の酷似した状況を想起したのだろう。1死で走者は2人。前回6月23日の対シンシナティ・レッズ戦では、一打サヨナラのその好機に、しかし稼頭央は打てなかった。低めの変化球に空振り三振し、チームは延長戦で敗れた。その試合前まで17打席無安打、守備での失策も15に達したこともあり、地元ニューヨークの観客は、日本から来た新人に容赦なくブーイングをあびせた。翌日の試合では、休養を命じられ、先発から外されて、代打や代走でも起用されずに最後までベンチで過ごした。それは、平成7年から続けてきた日米連続試合出場記録が1213試合で途絶えたことを意味した。
そして6月26日。好機で2ストライクに追いこまれた2度目の試合は、球場にいるすべての者にとって特別な意味をもっていた。
サブウェイシリーズ。
ニューヨークを本拠地とするメッツとヤンキースの交流戦。ヤンキースタジアム初戦の観戦券は発売と同時に売り切れ、場内は満員。日本でも、松井秀喜との「ダブル松井初対決」と早くからメディアがあおりたてており、深夜の生中継でどれだけの人が日本人初の内野手メジャーリーガーを注視していることか。
打席で3球目を待つ彼にかかる苛厳)な重圧は計り知れない。
稼頭央は、打った。
3球目、直球と感じてバットを振ったが、球はわずかに内角へ変化するスライダーであった。それでも躊躇することなく、全力で振りぬいた。球だけでなく、すべての逆境を跳ね返すような、ライト前2点タイムリーヒット。
「なにがなんでも」と彼はいった。
「来る球に喰らいつこうと思っていました。気持で負けたら、おわりやから」
この試合では2安打2打点1盗塁と活躍し、勝利の立役者となった。ブーイングしていたファンは、現金にも総立ちになって拍手して彼を讃えた。辛辣な記事で部数をのばす地元紙も、1面トップに背番号25の勇姿をカラーで掲載した。
しかし翌日には満塁時に凡退し、失策も犯したことで、ファンはまたも彼を罵倒する。地元紙も「他チームへトレードするか、日本へ送り返すべき」(『ニューヨーク・ポスト』28日付)と過激に批判する。
彼が挑んでいるのは、温々とした丘陵ではない。ひとたび滑落すれば底の見えない闇へ、ひとたび成功すれば世界の頂へと近づく、メジャーという名の嶮峻である。ダブルヘッダーとなったサブウェイシリーズの2、3戦目、ほとんどの選手が休憩している試合の合間でさえ、打撃練習に臨んだ彼は、一心不乱にバットを振っていた。
打てる日もあれば、打てない日もある。
日々、試合は続いてゆく。
日程は、まだ開幕から半分消化されただけ。
けれども、ニューヨークは、いつでも彼に、すべてを求める。全力で喰らいつき、ひたむきに、がむしゃらに、少しでも上へとよじ登ろうとする彼に、時間を与えず、すべてを求める。
マンハッタンの喧騒とは別世界の、静寂に包まれた郊外。夜には蛍が舞い、彼はそれを掌に包みこんで見つめていたりするという。いまの彼にとっては、家族と暮らすここだけが唯一安らげる空間であるのだろう。試合を終えた深夜、重圧の真っ直中にいる彼に話を聞いた。
――6月を終えて全日程の半分を消化。ここまで長かった?短かった?
「すごく長かった。こんなに長く感じるシーズンは初めて。ここまで、いいときがあれば、悪いときもあったけど、いいときは少なかったかな」
――打率2割5分1厘、5本塁打、11盗塁。不振といわれながら、チーム史上最多の先頭打者本塁打や、25試合でマルチ安打(1試合2安打以上)を記録するなど、同リーグのショートストップと比べれば、けっして悲観する成績ではない。
「猛打賞(1試合3安打)が少ないでしょ(ここまで2試合)。なかなかもう一本が出ない。『2本打ててよかった』ではさびしいよね。この成績では話にならない。もちろん物足りないですよ」
――メジャー特有のストライクゾーンや球質への対応がまだできていないということ?
「もう、そういうことやなしに、僕自身の問題。感覚的なものも大きいので問題点を具体的に言葉で表すのは難しいけど、とにかく自分のバッティングがまったくできていない。納得いかないところがありすぎるね」
――守備ではファインプレーがありながら、意外にも送球での失策が増えている。急造一塁手のマイク・ピアッツァ(捕手から転向)の捕球ミスが多いのも一因?(メジャーではワンバウンド送球時の失策は捕球状態にかかわらず送球者に失策がつく)
「マイクのことは関係ない。僕がもっと上手くならなければいけないと反省しています。投げる直前に悪い結果を考えてしまうようなことはないけど、送球エラーばかりやから、どこかで意識しているんやろね。捕ってから速く投げようとして、上体に頼りすぎているのかもしれない。こっちの選手は上体が強くて、腕だけでもぴゅっと放れる。真似しているわけやないけど、影響受けてしまう部分はあるのかな。どんなエラーも嫌やけど、スローイングミスは、ほんま悔しいんですよ。自分自身に苛々して、腹が立って、場外に思いきり放りたくなるようなときもある。周囲から批判されるまでもなく、自分が駄目なことぐらい、自分がいちばんわかっている」
(以下、Number606号へ)