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「本当にダメな人間だった」規律違反で浦和退団後、柏木陽介がFC岐阜で得た円熟「J3はここまで過酷かって。昔なら逃げ出したかもだけど」 

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原山裕平

原山裕平Yuhei Harayama

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2024/01/09 11:02

「本当にダメな人間だった」規律違反で浦和退団後、柏木陽介がFC岐阜で得た円熟「J3はここまで過酷かって。昔なら逃げ出したかもだけど」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

FC岐阜でキャリアを終えた柏木陽介。当地で得たもの、そして引退後に描く青写真とは

「そうですね。僕は背番号42を付けていたんですけど、岐阜県には42の市町村があって、それを背負う意味でその番号を選びました。岐阜という街を盛り上げたい想いがあって、具体的には岐阜のいろんな飲食店を回って、SNSで発信することをしてきました。最初の頃はコロナ禍だったので、なかなかお店にもいけない状況でしたけど、いろんなお店に顔を出すことで、いろんな繋がりができていくんですよ。

 岐阜はちょっと閉鎖的なイメージがあるかもしれないですけど、こっちから入っていけば全然そんなことはないし、みんなすごく優しい。そこでお店の人と仲良くなって、僕のことだったり、チームのことを応援してくれるようになる。もちろんパートナーもそうですし、サポーターに対してもそうですけど、本気で自分を変えに来たっていうところだけは見せ続けられたかなと思っていて。気持ちが伝わるプレーを感じてくれたからこそ、みんなが応援してくれた。真剣に向き合って、思いを伝えて、思いを見せていくと、勝手に繋がっていくんだなっていうことをすごく感じさせてくれた3年間でしたね」

引退後も岐阜を拠点に活動するワケ

――引退後も岐阜を拠点に活動するのですか?

「それはFC岐阜のためでもあるんですけど、岐阜県全体を盛り上げることは、これからも全力で取り組んでいきたいなって思っています。もっと岐阜の良さを知ってもらいたいんですよね。下呂温泉だったり、白川郷だったり、飛騨高山に行く人は多いですけど、もっといろんないいところがあって、いろんな魅力がある。そういうのをどんどん伝えていきながら、地域貢献をしていきたいですね」

――チームにも残るということですか?

「そうですね。具体的なことはまだ決まってないですけど、自分のストロングポイントは、多分社長も分かっているはずだから、それに準じた立場になっていくんじゃないかなと。基本的には、FC岐阜と岐阜県全体を盛り上げることが僕には求められていると思うし、僕自身もそういうことをやっていきたいと考えています」

それが自分にとってベストだと思っています

――具体的にどういったことをやっていくんですか。

「これはチーム関係なく、あくまで個人の考えですけど、お祭りだったり、イベントだったりに積極的に参加して、盛り上げたり、周知させたりすることはやっていきたいです。僕が楽しそうに何かをやることで、みんなが参加したいとか、行ってみたいとなる。岐阜はいいところだって思ってもらえるようなことを、今後も発信していきたいですね」

――縁もゆかりもなかった土地に、気づけば愛が芽生えてしまったわけですね。

「やっぱり自然が好きなんですよね。山とか川とかが。本当に今は健康的に暮らしていますし、ここに骨をうずめたいくらいの気持ちでいますよ。それが自分にとってベストだと思っています」

大怪我から引退の経緯を語った第1回広島と浦和時代の打ち明け話の第2回も配信中です>

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「アキレス腱を切った瞬間、笑ってしまった」元日本代表MF柏木陽介36歳が本音で明かす引退と“若気の至り”「試合に出られるだけで嬉しくて…」

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