酒の肴に野球の記録BACK NUMBER

“最も巨人を勝たせた監督” はV9川上でもONでもなく…原辰徳1291勝に浮かぶ“大型補強+育成を両立の難しさ”〈イチロー、ダルらとWBC優勝〉

posted2023/10/05 20:01

 
“最も巨人を勝たせた監督” はV9川上でもONでもなく…原辰徳1291勝に浮かぶ“大型補強+育成を両立の難しさ”〈イチロー、ダルらとWBC優勝〉<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

2023年、リーグ最終戦での原辰徳監督。21世紀の巨人軍監督と言えば、この人物であることに異存ある人はほぼいないだろう

text by

広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

PROFILE

photograph by

Naoya Sanuki

 巨人の原辰徳監督が退任を明言した。ONなどに次ぐ「スターの宿命」を背負った現役時代、そして計17年にもわたった監督生活を数字で振り返る。《全2回の2回目/第1回からつづく》

 原辰徳監督が采配を振った3期17年、西暦にして2002~23年の期間は「プロ野球の激動の時代」だったと痛感する。この間にプロ野球を取り巻く環境は激変し、ルールや組織も大きく変わった。そして選手の意識も全く別物になった。

 2005年10月5日、巨人の堀内恒夫監督が退任会見を行う。堀内監督は2004年3位、2005年5位と優勝することなく退任。それを受けて、原辰徳監督が3年ぶりに指揮を執ることになった。

第2期原巨人の特色は「大型補強」だった

 原辰徳の第2期監督時代、最大の特色は「大型補強」だった。

 2005年オフには中日から野口茂樹、西武から豊田清と手練れのベテラン投手がFA移籍。ロッテから李承燁が移籍した。

【2006年 65勝79敗2分 勝率.451(4位)】

 前任の堀内監督から続く、巨人史上初めての2年連続Bクラス。李承燁が41本塁打108打点と活躍し、阿部慎之助も打率.294を記録したが高橋由伸が不振だった。投手陣では内海哲也が12勝、パウエルが10勝するも、先発からクローザーに配置転換した高橋尚成が15セーブを挙げたものの防御率4.94、救援投手に苦しんだ。

 2006年オフ、日本ハムからMVPを受賞した小笠原道大、横浜から門倉健がFA移籍。オリックスから谷佳知がトレードで加入した。

【2007年 80勝63敗1分 勝率.559(1位)】

 FA移籍した小笠原が31本塁打88打点、打率.313で2年連続MVPを獲得。谷は打率.318、さらに小笠原(31本)、高橋由伸(35本)、李承燁(30本)、阿部慎之助(33本)と30本塁打カルテットが実現した。投手陣はクローザーに転向した上原浩治が32セーブ。1.5差で中日を振り切って2002年以来のリーグ優勝を果たした。しかしこの年から導入されたクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージでは中日に0勝3敗で負けて日本シリーズ進出ならず。

 2007年オフにアレックス・ラミレス、セス・グライシンガーがヤクルトから、横浜からマーク・クルーンが移籍で加わる。

08、09年のリーグ連覇に加えてWBC優勝監督に

【2008年 84勝57敗3分 勝率.596(1位)】

 ヤクルトから移籍したラミレスが45本塁打、125打点で打点王を獲得しMVP、同じくグライシンガーが17勝で最多勝。クルーンは41セーブで最多セーブ。小笠原道大も36本塁打、移籍組の活躍で阪神に2ゲーム差で優勝。CSでも中日に3勝1敗1分で勝ち抜くが日本シリーズでは西武に3勝4敗と惜敗。このシーズンから坂本勇人が正遊撃手になる。

 2008年オフ、ディッキー・ゴンザレスがヤクルトから移籍。

【次ページ】 2010年代に入って移籍組に衰えが目立ち始めるが…

1 2 3 4 NEXT
読売ジャイアンツ
原辰徳
長嶋茂雄
王貞治
川上哲治
小笠原道大
高橋由伸
アレックス・ラミレス
李承燁
堀内恒夫
阿部慎之助
谷佳知
セス・グライシンガー
マーク・クルーン
坂本勇人
長野久義
澤村拓一
村田修一
杉内俊哉
内海哲也
ホセ・ロペス
菅野智之
スコット・マシソン
丸佳浩
岡本和真
亀井義行
山口俊
松原聖弥
高橋優貴
中田翔
秋広優人
山﨑伊織
吉川尚輝
大勢
西村健太朗

プロ野球の前後の記事

ページトップ