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原辰徳の成績に「巨人軍スターの宿命」がにじむ…長嶋茂雄と比べられた現役生活、監督1年目44歳で日本一翌年にナベツネの「読売G人事異動」

posted2023/10/05 20:00

 
原辰徳の成績に「巨人軍スターの宿命」がにじむ…長嶋茂雄と比べられた現役生活、監督1年目44歳で日本一翌年にナベツネの「読売G人事異動」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

2002年、巨人日本一達成時の原辰徳監督。当時44歳で現役時代の若々しさをそのまま持続した表情だ

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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Hideki Sugiyama

 巨人の原辰徳監督が退任を明言した。ONなどに次ぐ「スターの宿命」を背負った現役時代、そして計17年間にもわたった監督生活を数字で振り返る。《全2回の1回目/第2回につづく》

 原辰徳監督の退任が決まった。同世代(1歳上)の岡田彰布監督がセ・リーグ優勝を飾る中、実に対照的な退任劇ではある。

 原辰徳という野球人は、宿命的に「巨人軍野球史の申し子」だったと思う。

 読売ジャイアンツは、日本プロ野球の「元祖」とも言えるチームだ。ベーブ・ルースをはじめとするメジャーリーグ選抜と対戦すべく、急遽結成されたチームが前身の大日本東京野球倶楽部が東京巨人軍となり、1936年この巨人を中心に日本職業野球連盟が結成されプロ野球が始まった。以後、沢村栄治、川上哲治、長嶋茂雄、王貞治と時代を代表する「大スター」によって伝統が紡がれてきた。

 王貞治が引退した翌年の1981年、東海大の花形選手として鳴り物入りで入団した原辰徳は、まさにこうした大スターの正系に連なる選手だったはずだ。1979年に法政大から入団した江川卓も「巨人の大スター」になる予定だったが「江川騒動」によって、イメージが変わった。だからこそ大学卒、三塁手、右打ちのスラッガー原辰徳こそは、長嶋茂雄の後継者だった。

“先代”長嶋茂雄と比較されるという苦しみ

 原辰徳の選手としての評価は「何を基準にするか」によって変わるだろう。

 15年1697試合6012打数1675安打382本塁打1093打点、打率.279
 打点王1回、新人王、MVP1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ2回

 立派な名選手の成績だと言える。しかし「先代」長嶋茂雄の成績は以下の通り。

 17年2186試合8094打数2471安打444本塁打1522打点、打率.305
 首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回、新人王、MVP5回、ベストナイン17回、ダイヤモンドグラブ2回

 比較するのが気の毒なほどの差がついている。これを原辰徳個人の資質の問題と決めつけるべきではないだろう。1965年のドラフト制度導入によって、12球団の戦力均衡化は進み、原辰徳は各球団の強力な投手陣やライバル打者と対峙した。厳しい競争環境の中で原辰徳は精一杯奮闘したとも言えよう。

引退後は“長嶋の後継者”含みでのコーチ就任

「若大将」というニックネームには「長嶋二世」の期待感を含んでいたが、ベテランになると「いつまでも若々しいね」という親しみを込めたニュアンスになっていった。

【次ページ】 松井、由伸、上原、阿部らが躍動した02年独走V→日本一

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