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異色の新人、多田野に必要だったまわり道。 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

PROFILE

posted2008/06/26 00:00

 昨年、18勝5敗という圧倒的な成績を残し、交流戦の優勝を果たした北海道日本ハム。今季は森本稀哲、高橋信二ら主力を故障で欠きながらも首位戦線に加わっている。これは絶対的エースのダルビッシュに加えて、スウィーニーらの先発陣がゲームを作っているためである。特に異彩を放つ存在がメジャーからの出戻り新人、多田野数人だ。

 出戻りといっても日本球界の経験はない。立教大で通算20勝を挙げ、東京六大学歴代7位の334奪三振を誇った右腕は、'02年ドラフト自由枠で横浜指名が決まっていながら、スキャンダルに見舞われ指名回避された。その結果、トライアウトをいくつか受け、インディアンスとようやくマイナー契約を結んだ。

 '04年にはメジャー初勝利を挙げたが、'06年の開幕前に解雇され、アスレティックスを経て日本ハムが年俸3000万円で獲得した。「若い頃の苦労は買ってでもしろと言われていますが、大卒のままプロに入っていたならば分からなかった事が、メジャーに行って分かりました」。ところが日本ハム入団後、自主トレ中に左手首を骨折。開幕一軍が絶望的になってしまった。

 入団が決まった時には必ずといっていいほど不運に襲われた多田野。しかし全て自分のプラスになるように考えたのが良かった。

 多田野に先発のチャンスが回ってきたのは、武田勝が故障によって離脱した時のこと。かつては150km台の速球を投げる本格派だったが、140km台のストレートと90km台のチェンジアップを操る技巧派になっていた。

 「力一杯投げることがベストではないですし、変化球を低めに集める大切さをアメリカで学びました」。ギクシャクした独特の投法は球の出所を見えにくくするためであり、5月2日の楽天戦でプロ入り初勝利を挙げると、続く16日のソフトバンク戦でも勝ち星を挙げた。

 投手の理想とは1年間のローテーションを守り、負けないことと言う多田野。その言葉どおり、交流戦に3試合登板し、先発した試合は負け知らずのピッチングを続けている。

 そんな多田野にダジャレ好きの梨田昌孝監督は「タダの(多田野)投手じゃなかった」とご機嫌である。

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