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「僕らにとって親分ですから」土橋勝征と坪井智哉が証言…池山隆寛が“令和型指揮官”に変身した「空白の1日」とは?《スワローズコーチ陣の言葉》
もう40年近くも前の話だ。
1980年代の後半、ヤクルトには極度の送球難に苦しむ若者がいた。ポジションはショート。ドラフト2位で高卒入団した彼はプロ入り後の数年間、埼玉県戸田市にある二軍球場で朝から晩までスローイング練習に明け暮れていた。
高校3年の夏に千葉大会記録となる5本塁打を放ったスラッガーだというのに、キャンプの夜間練習中も特打はそっちのけで1人きりの送球練習を命じられる。イップスとも噂され、極限まで気が滅入っていた頃、彼はコテコテの関西弁でまくしたててくる3歳上の先輩に何度となく救われた。
「当時の僕は本当にスローイングが苦手で、1年目なんか二軍戦でのエラーのうち4分の3は悪送球だったんじゃないかな。そんな時期、池山さんはよく送球練習の相手役になってくれてね。『こうやって投げるんや』って、いつも親身になって教えてくれました。池山さんは僕みたいなダメな奴にも優しかった。悩んでいる人を放っておけない性格なのだと思います」
57歳になった土橋勝征は白髪交じりの頭をなでながら、若かりし頃の池山隆寛を脳裏に蘇らせて目尻のしわを増やした。
豪快なスイングを売りに「ブンブン丸」と呼ばれた池山は現役時代、兄貴肌としても知られていた。後輩が壁にぶち当たれば、迷わず手を差し伸べる。損得抜きでアドバイスを送り、身振り手振りの指導もいとわない。そんな面倒見の良さは指導者に転身後、類まれな武器のひとつとなった。
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