樟南の主将・捕手として、1994年夏にチームを準優勝へと導いた田村恵が回想する当時の心境は、意外なものだった。
「『日本一になるんだ』とか、そんな気持ち全然なかったですよ」
この夏、樟南の評価は高かった。
田村は1年の夏から、のちに「全国屈指のバッテリー」と称される投手の福岡真一郎とともに甲子園でベンチ入りを果たし、2年も春夏で全国の舞台に立った。夏にはふたりを含めて2年生6人がベンチ入り。彼らが3年になって戦力は整い、鹿児島県勢初優勝を期待する声も多かった。
しかし田村は、そんな周囲のイメージをやんわりと否定するように現実を説明する。
「鹿児島実業が強かったんです。前の年の秋から1回も勝てないまま夏を迎えたんで。日本一どうこうって前に、実業に勝てるかどうかのほうが問題でしたからね」
’93年秋の県大会決勝と’94年春の九州大会決勝で樟南は敗れ、いずれも鹿児島実が九州王者に輝いた。夏の県大会でついに鹿児島実にリベンジし、甲子園出場を決めたことで重圧から解放されたと、田村は言う。
「『甲子園に出ないと意味がない』みたいな感じだったけど、出てしまえば甲子園そのものは絶対に勝たないといけない場所ではなかった。そこでみんなリラックスできていたから、決勝まで行けたのかな、と」
「九州の高校に負けるわけがない」
無欲の樟南は、運も引き寄せた。
初戦の秋田(秋田)を皮切りに、3回戦・双葉(福島)、準々決勝・長崎北陽台(長崎)、準決勝・柳ヶ浦(大分)と、対戦相手に恵まれた。東北勢は現在のようにレベルが高くはなく、九州勢も秋春の王者を倒したことで気負いなく戦えた。
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