名将・野村克也が監督キャリアの最盛期を過ごしたスワローズ。その9年間を締めくくった1998年10月9日の阪神戦を教え子たちはいったいどのように記憶しているのだろうか。完投したエース川崎憲次郎、1000安打を記録した飯田哲也、そして9回からマスクを被った息子カツノリが当時の胸中を語る。
野村克也はヤクルトの監督として戦った最後の試合で、選手の胸中に何を残したのだろう。いまでは顧みられなくなったそのラストゲームは、24年前の1998年10月9日、本拠地・神宮球場で行われた。
このシーズン最終戦の阪神戦は5-2で快勝し、ヤクルト9年間の通算628勝目を挙げて有終の美を飾った。グラウンド上の野村は吹っ切れたような表情でマイクの前に立ち、ファンに別れを告げている。
「きょうはすごく勝ちたかったです。4度のリーグ優勝、3度の日本一。これ以上の名誉はありません。ヤクルトは発展途上のチーム。未完成の形で去るのは心残りですが、私は潔くグラウンドを去ります」
クライマックスシリーズのないこのころ、ヤクルトは4位が確定。すでに消化試合だったにもかかわらず、4万6000人を満員としていた当時、2万8000人のファンが詰めかけた。一塁側、右翼側スタンドから「ノムさん、ありがとう!」「辞めるな!」と惜別の声が飛ぶ。
9回にマスクをかぶった息子のカツノリ(野村克則)が野村と握手を交わし、深々と頭を下げる。息子の肩を抱き寄せ、笑みを浮かべた父とは対照的に、泣きじゃくるカツノリの顔はクシャクシャだった。野村親子の姿を眺めていた周囲の選手たちも、それぞれに感慨に浸っていたはずだ。
その僅か2日後、一部スポーツ紙のスクープで、相手の阪神が野村を来季の監督に招聘することが明らかになるまでは。
野村の勇退試合を最も鮮明に覚えているのは、先発登板した川崎憲次郎だろう。
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photograph by SANKEI SHIMBUN