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「世界中からいい繁殖牝馬を買い続けて…」ディープインパクトが“最強種牡馬”として日本競馬界に遺したもの《イクイノックスらとの共通点は?》

2026/05/20
ターフを退いてからも、その勢いは留まるところを知らなかった。産駒たちは初年度から次々に好成績を収め、数多くのGI馬を輩出。11年連続でリーディングサイアーに君臨し続けた。そんな日本史上最高の内国産種牡馬の早すぎる死から7年が経とうとしている。産駒最終世代も数少なくなった今、あらためて類まれな名馬が遺したものを考えてみたい。(原題:[最強種牡馬が遺したもの]ディープインパクト「進化への飽くなき意欲」)

 現在、ゼネラルマネージャーを務めている中島文彦が獣医師としてノーザンファームに入社したのは、まだディープインパクトも生まれていない1999年のことだった。その当時、中島にとっての「いい馬」の基準は、エアグルーヴだった。

 父は輸入種牡馬トニービン、母はオークス馬ダイナカール。オークス母娘制覇を達成し、17年ぶりに牝馬による天皇賞(秋)制覇を成し遂げたエアグルーヴは、その競走成績のみならず、ボリューミーかつ均整の取れた馬体や、真ん中に白い流星の入った美しい顔で、ファンの多い馬だった。

 前年一杯で現役を引退し、ちょうどこの春からノーザンファームで繁殖牝馬となったエアグルーヴは、いわば中島の「同期」だった。オーラすら感じるその馬体と(たたず)まいに、中島の胸はこういう素晴らしい馬と仕事ができる喜びで一杯になった。

 あの頃、そうした「いい馬」の基準の根底には、海外、特にアメリカの馬を到達点とみなす価値観があったと中島は明かす。

「当時、アメリカから輸入した競走馬は1歳の時点ですでに日本の馬とは体が違っていて、パッと見ただけですぐに分かりました。骨量も筋肉量もまったく違うんです。血統はもちろん、栄養管理もトレーニングも、まずはそこを目標にしていました」

 しかしその価値観は、それから3年後に生まれたディープインパクトによって激変することとなる。アメリカから来た種牡馬サンデーサイレンスと、アイルランド生まれの母ウインドインハーヘア。異なる国から輸入した2頭の間に日本で誕生したディープインパクトは、中島によればそれまでの「いい馬」の基準から外れた馬だった。

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