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横浜高校・松坂にノーヒットノーランされ…京都成章・古岡基紀が振り返る“怪物の足跡”と“幸せの852球”「投げ切ったことで成長できた」
今年の7月21日、静岡大会4回戦第1試合。掛川西対藤枝明誠。スタンドには28年前に京都成章のエースだった古岡基紀の姿があった。社会人野球ヤマハを引退し、3年前から中国に単身赴任している古岡は、この日、掛川西のエースとなった息子、古岡都暉の夏の姿を一目見ようと、朝5時着の深夜便で帰国していた。
「自分の時よりもドキドキしていますね。僕の時はあんまり覚えていないんですけど……28年前、何考えていたんですかね。負けることなんか考えずに、ただ必死で投げていただけですからね」
1998年の夏。古岡は京都成章のエースとして決勝戦で松坂大輔と投げ合い、ノーヒットノーランで敗れた。世間的には“松坂伝説最終章”の引き立て役なのかもしれない。だが、この横浜戦でも3失点完投で全6試合を一人で投げ抜き、勢いある荒れ球と縦横のカーブを武器に、大会を通じて松坂をも上回る852球、57奪三振を記録している。
「松坂なんて、同じエースでも雲の上の存在以上ですよ。僕らはほぼみんな軟式出身で強い学校じゃなかった。ピッチャーの人数もいないし、練習試合もエースが一人で投げ切るのがあたり前。代わりがいれば交替する場面でも、最後まで投げ切るしかなかった。でも僕はそれで成長できた。甲子園決勝なんて考えてもいない。僕らには春の屈辱がありましたから。“甲子園に忘れ物を取りに行く”。それだけでした」

その年のセンバツ。初出場を果たした京都成章は、初戦の岡山理大付属に2対18の大敗を喫する。先発したエース古岡は、3回途中9失点で降板。自滅だった。8回にマウンドに戻った時には、15点差がついていた。古岡はあまりの悔しさにマウンドの上で涙を流しながら、投げた。
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