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《北京五輪を終えて》樋口新葉はトリプルアクセルを武器に、さらに前へ…「次の五輪はもう厳しい」からの復活<ドキュメント/2022年>

2022.2.17 Beijing Winter Olympics
平昌五輪は代表入りが有力視されながらも、あと一歩のところでその座を逃し、涙をのんだ。悔しさを糧に大技に懸け、今季成し遂げた史上5人目の偉業。その時トリプルアクセルは、自身を表現する宝物になっていた。(初出:Number PLUS FIGURE SKATING TRACE OF STARS 2021-2022シーズン総集編[人生を変えた4年] 樋口新葉 「恐れずに、どん欲に」)

「“ある時”を境に、周りのことを良い意味で気にしなくなったんです。だから五輪で女子5人目のトリプルアクセル成功と言われても、知らなかったくらい。トリプルアクセルは自分をアピールするために必要で、一番大事にしているジャンプ。誰かの真似とかでもなく、自分の感覚を大切にして跳んでいます」

 樋口新葉は、五輪の歴史に名を刻んだことを気に留めてもいない様子で、そう語る。トリプルアクセルは誰かと戦うための技ではなく、自分らしく生きるための象徴。「ある時」そう気づいた。

平昌五輪代表を逃し「次はもう厳しいんじゃないか」。

 ジュニア時代から頭角を現し、そのスピード感は他を圧倒していた。全身にみなぎるバネと、強気の性格。13歳で全日本ジュニアを制し、次期エースの太鼓判を押された。シニア2年目で平昌五輪シーズンを迎え、201

 7年夏には「五輪の有力候補の16歳」として決意を聞かれた。そのたびに「今季は五輪に出ることが目標」と宣言していたが、何か夢物語のようにも感じていた。

「五輪に出たいなというのは何となく考え始めていましたが、あまり現実的ではありませんでした。目標として口には出したけどフワフワとしていて、現実的に計画を立ててどんな努力をしていくかを考えてはいなかったと思います。五輪はテレビの中の世界という感じでした」

 もちろん本人の気持ちが定まっていなくても、樋口の実力は世界の上位にあった。グランプリシリーズはロシア杯3位、中国杯2位となり、トップ6が出場するGPファイナルに進出。この時点では平昌五輪の最有力候補だった。しかし12月のGPファイナルで6位となると、調子が右肩下がりになり、全日本選手権で4位に。五輪代表を逃した。

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photograph by Kaoru Watanabe/JMPA

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