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「だって野茂さん、日本人ですからね(笑)」イチローが語る野茂英雄への“感謝”とメジャーで味わった‟恐怖”《MLB野球殿堂入りスピーチの舞台裏》

2025/08/08
7月27日、クーパーズタウンで英語のスピーチをしたイチロー
7月、ニューヨーク州クーパーズタウンで米野球殿堂入りのセレモニーが催された。野茂英雄から始まり、大谷翔平へと続く日本人選手の歴史において、イチローが背負ってきたものとは何だったのか。(原題:[米野球殿堂入り式典]イチロー「“聖地”で望んだこと」)

 大きな黒雲が風に流されて太陽を遮り、雨を降らせ、その直後には真っ白な夏の雲とともに強い陽射しが降り注ぐ。2025年7月27日、“野球の聖地”クーパーズタウンにイチローの日本語が響いた。

「野茂さん、本当にありがとうございました」――20分近く英語で話し続けた殿堂入りスピーチの、その一文だけが日本語だった理由を、イチローはこんなふうに説明した。

「だって野茂さん、日本人ですからね(笑)。野茂さんのおかげで日本ではMLBが常にニュースとなり、MLBの試合がテレビで放送されるようになりました。野茂さんがプレーしてくれていなかったらMLBとの距離は永遠に縮まらなかったし、イメージできなかったと思います。僕が悩んで自分のバッティングへの葛藤があったときも、野茂さんの活躍が目に入ってきて励まされました。僕は実際に野茂さんと対戦もしていましたから、MLBとの距離は野茂さんのおかげで劇的に変わりました。それが自分のモチベーションに繋がったんです」

イチローを30年以上撮り続ける佐貫カメラマンも「当日は雨模様でしたが、イチローさんが登場したら陽が差した」と語る Naoya Sanuki
イチローを30年以上撮り続ける佐貫カメラマンも「当日は雨模様でしたが、イチローさんが登場したら陽が差した」と語る Naoya Sanuki

野球が苦しくなったイチローの目に野茂の姿は…

 日本でのイチローは1994年から7年続けて首位打者を獲り続けていたが、'95年からの4年間は自分のバッティングを見失ってもがき苦しんでいた。簡単に打てていたヒットを、難しく感じるようになっていたのだ。感覚の中では打てるはずのヒットが、身体がついてこないことで凡打になる……イチローにとって楽しかったはずの野球は、いつしか苦しいものになっていた。

 その'95年から野茂英雄はドジャースで2ケタ勝利を挙げ続けた。メジャーで楽しそうに野球をする野茂の姿は、日本での暗澹たる自分とあまりに対照的に映った。メジャーで野茂が輝いた時期と日本でイチローが葛藤した時期は重なっていたのである。

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photograph by Naoya Sanuki

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