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「速すぎるっちゃけどー」「一番最悪の相手や」2007年佐賀北は無欲のチーム…“がばい旋風”を満塁弾男らが振り返る《甲子園優勝メンバー座談会》

2025/08/09
あらゆる劇的な要素を初戦から体現し、日本中を旋風に巻き込んだ2007年の佐賀北ナイン。12年後のいま、監督として高校球界で奮闘する当時のエース、満塁弾男、マネジャーが集い、甲子園を語り合った。(原題:[優勝メンバー同窓会]2007佐賀北 がばい旋風、再び。久保貴大/副島浩史/真崎貴史)

――2007年の甲子園優勝から12年。記録員を務めていた真崎さんを含む3人が、地元佐賀で高校野球の指導者になりました。

真崎 最初に教員になったのはぼく。ただ中学校採用で、高校野球とは関わりがなかった。その間に久保が戻ってきたとよね。

久保 うん。筑波大で周りに感化されて、教員になる流れなんだなって。社会人野球を辞めて佐賀大の大学院に行って。教員採用試験に合格したら、初任が佐賀北だった。

真崎 それを知って、ぼくも高校の採用試験を受け直したんです。

副島 ぼくは久保が高校の教員になろうとしていると知って、(福岡大卒業後に勤めていた)佐賀銀行を辞めました。大学時代に教育実習で佐賀北に行った時の生徒たちが甲子園に出たんです('12年)。それを見に行った時に『いいな』って気持ちが芽ばえたし、社会人で限界まで野球をやった後に教員を目指している久保がカッコよくて、負けたくないなって思いましたね。4度目の試験で合格できました。

――久保さんは'17年秋、恩師でもある百崎敏克さん(現副部長)から監督を引き継ぎ、真崎さんは'17年秋に杵島商の、副島さんは'18年11月に唐津工の監督に就任。今夏の県大会は3人が揃い踏みしました。

副島 初めての夏の大会で、しかも開幕戦。独特の緊張感がありました。

真崎 うちは(県立高の再編統合の影響で)3年生12人だけのチーム。爪痕を残したいねって言ってたんですけど、初戦で第1シードの佐賀商に負けてしまって。夏、勝つのは難しいな、と。久保も2回目の夏で、去年は初戦敗退。今年はどういう戦いをするのかなっていうのは見てました。

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photograph by Hideki Sugiyama

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