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「ずっと辞めたいと思っていた。でも…」丸山城志郎が語る恩師・穴井隆将、“ライバル”阿部一二三、そして運命の「24分間ワンマッチ」《柔道人生ドキュメント》

春の訪れを今か今かと待ちわびる2月25日、大阪の街はまだ肌寒かった。柔らかな太陽が溶け込んだ空は、冬晴れと言っても良かった。そんな穏やかな午後、「サムライ」と称された男が鎧を脱いだ。
柔道男子66kg級の丸山城志郎は大阪府八尾市のミキハウス本社で現役引退を表明した。記者会見の表情からは、畳で発した殺気や獲物を追うどう猛さが消えていた。
「もう勝負しなくて良くなった。家の中でも妻に言われます。『人間らしくなったね』って」
照れ笑いする姿は31歳の好青年そのものだった。宮崎市に生まれ、3歳で始めた長い柔道人生に終止符を打った。
世界選手権は2019年と'21年に2連覇し、'22年と'23年は2位。他にも国内外の大会で幾度となく頂点に立ってきた。少年時代から輝かしい実績を誇り、切れ味抜群の左内股を中心とした正統派のスタイルと凜々しい佇まいで「天才城志郎」と呼ばれた。
しかし、その柔道人生の中で最も濃密だったのは現役の後半だろう。阿部一二三という宿敵との筆舌に尽くしがたい死闘の日々が、丸山を本物の柔道家にさせた。

伝説の始まりは2018年秋の涙
伝説の始まりは'18年の秋だった。
その年の8月下旬、丸山はジャカルタでのアジア大会決勝で安バウル(韓国)に一本負けを喫する。阿部は前年に初出場の世界選手権を制覇しており、当時2年後だった東京五輪代表争いで追う立場としては優勝以外にアピール材料がなかった。痛恨の敗戦。4歳下のスター選手との差はさらに開いた。「ここを勝たないと次はないと考えていた。本当に人生が終わったと思った」。奈落の底に落ちたような絶望感に包まれ、帰国後しばらくは抜け殻になった。
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