記事を
ブックマークする
「伊東さんの凄さを理解したのはダイエーに行ってから」工藤公康が解説する日本シリーズ“3人の配球”「城島君、阿部君には…」《名投手が語る捕手論》

1985年10月26日 日本シリーズ第1戦 西武−阪神
▼ 工藤公康 22歳/伊東勤 23歳
0-0で迎えた8回表、ノーアウト一、三塁のピンチで工藤がリリーフ。ここでキャッチャーの伊東は勝負球の5球目、工藤にカーブを要求するも、三冠王のランディ・バースにレフトスタンドへ3ランホームランを打たれてしまった。

あのときの僕はまだ若かったので、伊東さんにすべてを任せていました。じつは僕が伊東さんの配球の凄さを理解したのはダイエーに行ってからなんです。当たり前のようにあるものの有り難みって気づけない。ダイエーに行って、伊東さんのサインだったら打たれなかったのに、そうならないのはなぜだろうと考えるようになったことが、配球を勉強するきっかけでした。
伊東さんの凄さは、バッターをよく見ていることでした。バッターのちょっとした動きから「この球ならカウントを取れる」「この打ち方ならこの球で勝負できる」と導き出す。僕が「それは打たれる」と思っても、伊東さんは「いいから投げてこい」と譲らない。実際にそこへ投げるとファウルになってカウントを稼げたりするんです。経験値の違いを思い知らされましたね。
伊東さんとは日本シリーズでずいぶん組みましたが('85年~'94年に9度の日本シリーズ、21試合)、あの阪神との第1戦は僕が伊東さんと組んだ初めての日本シリーズでした。バースへの初球、アウトコース高めのストレートでストライクを取ります。バースからすれば1球目でタイミングを計って、さあ、2球目。どうせオレにインサイドは来ねえという考えがあるはずなので、伊東さんはボール気味の高めに投げればバースの狙いがわかるだろうと……でも僕の投げたインハイの厳しいところへのボール球は伊東さんの思惑とは違いました。ただ、頭の近くに来たボール球を避けながらもバースはバットを出そうとしていた。ということは、外のまっすぐを打とうとしてるとわかるわけです。これで外角が有効になると伊東さんは考えたはずです。
全ての写真を見る -1枚-プラン紹介

「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています
この連載の記事を読む
記事