#1005
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<頭脳派捕手の回顧> 伊東勤「私が受けた史上最高の豪腕」

2020/06/23
20年近く獅子の正捕手の座に座った男は、マスク越しにどんな風景をみてきたのか。黄金時代を支えた“扇の要”が語る多士済々の投手陣、そして西武野球の原点とは。(Number1005号掲載)

 ずっとその後ろ姿を探し求めてきた。

「この世界でやらせてもらっていて、いつもいいピッチャーと言われる人を彼と比較して見てきました。同じくらい球の速い投手はいる。いいスライダーや変化球を投げる投手もいる。でもやっぱり質が違う。比較できる投手はなかなかいないですね」

 1980年代中盤から'90年代にかけて正捕手として西武を支え続けた伊東勤は、郭泰源の凄さをこう表現した。

「(渡辺)久信や(工藤)公康、石井(丈裕)とか、当時の西武にはいい投手は一杯いました。でも、やっぱり一番は郭泰源です。いまの時代でも、恐らくナンバーワンになれるピッチャーだと思いますね」

 台湾出身の郭泰源は“オリエンタル・エクスプレス”の異名を誇り、150kmを超える真っ直ぐと高速スライダーを武器にした右腕だった。'84年オフに巨人との争奪戦の末に入団が決まると、'85年のシーズン開幕からいきなりローテーション投手となり、'87年からは3年連続で2桁勝利をマーク。'88年には13勝3敗で最高勝率のタイトルを獲得し、WHIPは0.91と絶対的安定感を誇るエースへとのし上がっていった。

試合が2時間半で終わる投手。

「まずフォアボールから自滅することがないから、彼が投げる試合は打者が絶対に勝たなければならないという感じで臨んでいました」

 伊東は振り返る。

「コントロールが良くて、ボールが絶対に高めにこない。低めの球は地を這ってくるような感じで垂れずに、逆にホップしてくる。球種も真っ直ぐとスライダーに、いまで言うカッターやツーシーム……当時は真っスラ、シンカーと呼んでいたんですが……それにフォークと多彩でした」

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photograph by Naoya Sanuki

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