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「迷っていることはあるか?」1999年日本ダービー、ナリタトップロードと“ジョッキーの号泣”の思い出《沖芳夫調教師が「名馬の半生」を振り返る》
1996年夏、調教師の沖芳夫は運命の出会いを果たす。馬主の山路秀則から命を受けて、北海道へ数頭の仔馬を見に行った。山路との付き合いは、東京農業大学馬術部の2期先輩である大川幾男から紹介されたことに始まる。大川は大学卒業後、北海道に渡って牧場を開場していた。沖も当初は大川の生産馬で山路が所有する馬を預かることがほとんどだったが、この時は異なり、指定された数頭の中から1頭を選ぶように言われたのだ。
そこで気に入ったのが、のちにナリタトップロードと名付けられる牡馬。「どちらかというと長距離馬が好き」という沖好みの体形をしていた。
父サッカーボーイは栃栗毛の輝く馬体と、鼻筋を太く縦断する流星が特徴的。阪神3歳ステークスとマイルチャンピオンシップと、芝1600mのGIを2勝した。
しかし、トップロードは父とは違った。
「初めて見た時、あの父の仔にしては薄手で、距離がもちそうなイメージでした」
競走馬の体形はよく陸上選手に例えられる。ウサイン・ボルトのようなムチッとした筋肉質タイプは短距離馬、マラソン選手のように細身でしなやかな筋肉の持ち主は長距離馬のイメージだ。
沖に後者の印象を抱かせた若駒は牧場でのトレーニングを経て2年後の夏、札幌競馬場に入厩した。
「オーナーからは、早い時期から『デビューさせろ』とプレッシャーを受けていました(笑)。とにかく馬が好きな方で、長く楽しみたいということでしょうし、たぶんどの馬にもおっしゃっていたと思います。新馬戦が始まると『うちの仔はまだか』と落ち着かなくなるオーナーは多いんです」
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