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【学芸員に聞く】「早稲田から慶應への“挑戦状”も展示」アメリカ野球殿堂で開催予定「日米の野球交流」展とは?《佐々木麟太郎もバットを提供》
イチローは引退から5年以上が経った今も、過去と現在の野球人を繋いでくれる。
ニューヨーク州クーパーズタウンにある米野球殿堂博物館では、初めて日本人選手の殿堂入りが決まる2025年に向けて大規模な特別企画展を準備してきた。
7月27日にクーパーズタウンで行われるイチローらの殿堂入りセレモニーに合わせて、「野球とベースボール:太平洋を越えた日米の野球交流」と題した企画展が開かれるのだ。殿堂博物館にとって、1カ国に特化した企画展を開催するのは初めてのこと。約170㎡の大部屋で少なくとも5年間、日米両国が野球を通じて交流してきたことを示す歴史的な品を展示する。
企画展の入口にはイチロー、日本人選手のパイオニアである野茂英雄、現在のメジャーリーグを席巻する大谷翔平の三本柱のコーナーが設置される予定だ。とりわけイチローはこの企画展でも、かつて記録を塗り替えることで“シューレス”ジョー・ジャクソン、ジョージ・シスラー、“ウィー・ウィリー”キーラーといった先人の名前を思い起こさせてくれたように、またしても野球の歴史を紐解き、150年以上に及ぶ日米の野球関係を繋いできた多くの先人の名前を蘇らせてくれるだろう。
その一人が与那嶺要。愛称は「ウォーリー与那嶺」だった。1925年にハワイのマウイ島で生まれ、'51年にアメリカのマイナーでプレーしていたシーズン途中で巨人と契約。戦後のプロ野球で初めての外国人選手となった。巨人と中日で12年間にわたって首位打者3回、MVP1回などと活躍し、引退後は初めての外国籍監督として中日で6年間指揮を執った。
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