MLB史上最多762本塁打の、誰もが認める最強打者。4度の日米野球で架けた11本のアーチは日本球界に驚きをもたらし、新しい景色を見せてくれた。打たれて野球人生が変わった、エースたちの物語。(原題:[日米野球回想録]バリー・ボンズ「ビッグアーチの衝撃」)
昭和が終わり、平成の世が始まった頃、テレビゲームのファミコンが大流行していた。中日の合宿所「昇竜館」で暮らしていた今中慎二も、夜は仲間たちとブラウン管の前に座り、プロ野球ゲームの「ファミスタ」に熱中した。まだメジャーリーグのテレビ中継はほとんどない。ゲームのなかでスター選手の名前を覚えていったという。
「メジャーは別世界でした。錚々たる顔ぶれでケン・グリフィーJr.、バリー・ボンズとか、名前は知っていましたが、まさか対戦することなんてないだろうと思っていました。日米野球に選ばれた時も『なんで俺なんだろう』と思っていたくらいでした」
2回を8安打8失点。何を投げても打たれた。
19歳の時、「まさか」が現実になった。
'90年11月7日、甲子園。
今中の出番は3点リードの8回に訪れた。まだエンジンがかからない間に、いきなり出鼻をくじかれた。1死一塁で灰色のパイレーツのユニフォームを着たスリムな左打者に、あっけなくセンター前に運ばれた。初対戦のボンズである。想像以上に速いスイングに面食らった。
「これは打たれるぞ……」
その直後、セシル・フィルダーに左翼へ同点3ランを浴びて、歯車が狂った。
「試合前から緊張していた上に、フィルダーに打たれてパニックになって、あとはもう、何を投げてもダメでした」
ジェシー・バーフィールドにも左翼に被弾し、瞬く間に5点を失った。歯止めは利かない。9回。今度はグリフィーJr.に右翼ラッキーゾーンに放り込まれ、再びボンズの打席が巡ってきた。
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