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「染まるなよ。チームのよどんだ雰囲気に…」野村克也が阪神タイガースで“変えられなかったもの”《赤星憲広が叱られた「カツ丼事件」とは?》
2025/01/19
3年連続最下位に沈み、華々しい指導歴の汚点となった虎将時代。選手はぬるく、教えは響かず、チームも変わらない。しかし、後年にリーグ優勝の立役者となる教え子2人は、確かに遺産を受け取っていた。(原題:1999-2001[大輪の花が咲く前に]阪神タイガース「野村克也が変えたもの、変えられなかったもの」)
「お前だけは染まるなよ。このチームの、このよどんだ雰囲気に……」
赤星憲広は今でも覚えている。プロ1年目、最初に仕えた監督である野村克也から何度も聞いた、この言葉を。
「野村さんはチームを一から変えようとしていました。長年、タイガースには負け犬根性があって、それに慣れてしまっている選手が多かった。その間はチームは変わらない。だから、僕に対して“お前は染まるなよ”と何度も伝えたのだと思います」
亜細亜大学、JR東日本と強いチームでプレーしてきた。「入団直後のタイガースの雰囲気がすごくイヤだった」と語る赤星だからこそ、野村のこの言葉は、今でも強く印象に残っている。
一方、2000年代のエースとして活躍した井川慶も、四半世紀を経ても忘れられない「野村の言葉」がある。
「よう頑張った。お前のおかげで、もう1年、監督を続けることができる」
めったに選手を褒めない野村の言葉である。'01年、就任3年目となる野村監督に抜擢された井川は9勝13敗と負け越しはしたものの、リーグトップとなる28試合に先発し、年間を通じてローテーションを守った。
「結局はこの年のオフに退任されるんですけど、野村さんは4年目も指揮を執るつもりでした。就任から3年、ようやくチームが変わりつつある手応えを感じていたからだと思います」
F1セブン「1号車」に指名されたのが赤星だった
1999~2001年の3年間、野村克也は阪神を率いた。ヤクルト時代には9年間で4度のリーグ優勝、3度の日本一に輝いた彼は、フロントから三顧の礼をもって迎え入れられ、ファンもまたボヤキの名将を歓迎した。
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photograph by SANKEI SHIMBUN