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【パリ五輪】まさかの初戦敗退から銅メダル…レスリング・須崎優衣が語る「本当にかけがえのない五輪になった」の真意とは?

2024/09/05
女子レスリング50kg級・須崎優衣はパリ五輪で銅メダルを獲得

 国際大会で24大会連続優勝。外国選手を相手に94連勝。女子レスリング50kg級の須崎優衣(キッツ)は、開会式で旗手を務めて人気者になった東京五輪の金メダルのほかにも、多くの勲章をひっさげて花の都に乗り込んでいた。

 さわやかな声に乗せて「五輪4連覇」という大目標を語る姿には確かな意志が宿っていた。一頭地を抜く実力の持ち主であったのはもちろん、“整っている”イメージが強い選手でもあった。それだけに、須崎が敗れた姿は衝撃的だった。

まさかの初戦敗退、想定外のスケジュール変更。

 大波乱が起きたのはレスリング競技2日目の8月6日。須崎の初戦の相手は五輪出場3度目、29歳のベテランレスラー、ビネシュ・フォガト(インド)。経験豊富な相手といえども須崎が不覚を取ることは想像できなかったが、ここでまさかが起きた。2-0とリードしていた須崎が、残り10秒を切って逆転負けを喫したのだ。

 茫然自失。そして涙。須崎は「ここで終わってしまったことが信じられない」と言葉を振り絞った。それでも、初戦敗退という受け止めがたい現実に涙が止まらなかった夜は、スマホに届いた世界中からの励ましのメッセージに沈みきった気持ちが救われた。

 翌8月7日は目まぐるしく状況が変化した。ビネシュが決勝に進出したことにより、須崎は7日午前にある敗者復活戦にまわる予定だったが、そのビネシュが7日朝、体重超過により失格。決勝には別の選手が出ることになり、須崎の敗者復活戦が3位決定戦へ繰り上がった。

 想定しにくいスケジュール変更。敗戦のショック。精神的に難しい状況だったが、須崎は集中力を高めていった。選手村に戻る前、涙の対面となってしまった家族の顔も思い浮かべて臨んだオクサナ・リバチ(ウクライナ)との3決。

「家族をたくさん泣かせてしまったので、このまま帰らせるわけにはいかない。銅メダルでも、せめて最後は笑って日本に帰ってもらいたいと思って戦いました。自分自身としても、この3年間の人生がすべて否定されたような気持ちでいっぱいでしたが、勝って終わることで少しでも自分を肯定してあげたいと思って戦いました」

 ここで須崎はすさまじいリバウンドメンタリティを見せた。引き裂かれたプライドをもう一度つなぎ合わせて、第2ピリオド序盤で10-0としてテクニカルスペリオリティ勝ち。立派に闘い抜いて銅メダルを死守した。

オリンピックチャンピオンじゃないと価値がないと思っていたが…

 ほろ苦さもある表彰式を終えて須崎が語った言葉の中には、パリ五輪のレスリング勢でただ一人の東京五輪金メダリストだったからこそ抱え込んでいた重荷の一部が垣間見えた。

「初戦では、パリの金メダル獲得と五輪4連覇を達成するという2つの夢が同時に消えてしまい、喪失感と、ここまで協力してくださった皆さんの努力を無駄にしてしまい、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした」

 そう語って「でも」、と言葉を継いだ。

「自分が思っている以上にみんなは須崎優衣という一人の人間を応援してくれていました。オリンピックチャンピオンの須崎優衣じゃなかったら価値がないのではないかと思っていましたが、一人の人間として応援して下さる方が本当に多いことに気づいて、私は幸せだなと思いました」

 知らず知らずのうちに背負った連覇への使命感は、須崎から相応のエネルギーを削り取っていたに違いない。だが、負けたことで気づけた幸福感があるのもまた、五輪という大舞台ならではだった。

 3位決定戦のマットに上がる直前には、グレコローマン77kg級で金メダルを獲ったばかりの日下尚(三恵海運)から「先輩、やってください!」と激励を受けた。2歳下の日下は須崎の勝利を見届け、「レスリング界を引っ張ってきてくれた先輩は、負けても魅力のある方で、僕の憧れです」と称えた。

「この3年間、パリ五輪で金メダルを獲ることだけを考えて生きてきたので悔しい結果になってしまいましたが、また新たに4年後のロサンゼルス五輪、その先のブリスベン五輪で絶対に金メダルを獲ろうという約束を自分とかわすことができました。本当にかけがえのないパリ五輪になりました。この銅メダルがあってよかったと思える日が来るまで頑張り続けて、銅メダルを価値のあるものにしていきます」

 日本に帰ったら何をしたいですか? 会見で聞かれると、「すぐに練習がしたいです」と答えた。

「私を信じて応援してくれる方々を喜ばせてあげられる日が来るまで頑張ろう。有観客の五輪で一緒に喜び合える日まで戦い続けようと思います」

 4年後に向けてすでに整っている須崎優衣がいた。

(原題:[OLYMPIC ROAD]須崎優衣 この銅メダルがあってよかったと思える日まで)

須崎優衣Yui Susaki

1999年6月30日生、千葉県出身。'17年は48kg級で、'18、'22、'23年は50kg級で世界選手権制覇。東京五輪では金メダル獲得。対外国人選手94連勝を記録するもパリ五輪は初戦で敗れ銅。153cm。

photograph by Kaoru Watanabe/JMPA

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