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「我慢が足りなかった」斎藤慎太郎が語った王位リーグ戦の“挑戦”、妻、将棋の面白さ「結婚で敗戦からの回復が早くなった」

2024/07/05
2018年に王座のタイトルを獲得している斎藤慎太郎

 なかなか大きな結果に恵まれていないトップ棋士にとっては、是が非でも勝ちたい一局だろうと勝手に思っていた。

 5月30日に行われた王位戦挑戦者決定戦は、斎藤慎太郎八段と渡辺明九段の顔合わせとなった。

 タイトル1期獲得の実績を持つ31歳の斎藤は2021年、'22年と連続で名人戦に挑戦したが敗退し、以後はなかなか良績を残せなかった。それどころか今年2月に最高峰の順位戦A級から陥落。棋士人生初の降級を経験した。

 斎藤はこう述懐する。

「A級順位戦は後半戦になるにつれて自分の将棋がどんどん狭くなっていった。星が伸びずに苦しくなったことで、自分の経験がある形に頼ろうとしすぎたんです。そうなると相手も予想できるので、研究した形になりやすい。精神面の余裕のなさが陥落につながった気がします」

「将棋が好き」を思い出し、挑戦者決定戦へ進出。

 順位戦降級後の最初の対局が、王位リーグ2戦目の豊島将之九段戦だった。斎藤は大胆な作戦に打って出た。居飛車党にもかかわらず、四間飛車を採用したのだ。

「開き直って新しいことにチャレンジしてみました。結果的には負けてしまったけど、将棋の面白さを再認識することができたんです」

 プロは結果にこだわり抜かなければいけない。だが元々は将棋が好きで好きでたまらない少年だったのだ。棋士生活を12年続けてきた斎藤にとって、原点を確認する作業が必要だったのかもしれない。

 豊島戦は惜敗してリーグ戦の成績は1勝1敗となった斎藤だが、「その後の対局では将棋の幅を広げて指したつもりです」と語るように、ノビノビとした気持ちで駒を運んだ。リーグ紅組を4勝1敗で優勝し、挑戦者決定戦に進出。渡辺に勝利すれば約2年ぶりのタイトル戦出場が決まる。待ちに待った大舞台だが、斎藤に特別な昂りはなかったという。

「指し慣れた将棋は選ばないようにして、少し新しいことをやろうと思った」と順位戦降級後に至った心境のままだった。それにしても、タイトル戦出場への意識は全くなかったのだろうか。

「そもそも今期の王位リーグは残留を目標にしていました。過去に1度経験した時は陥落したので。残留が実現したら挑戦が見えてきます。だから目の前の一局を頑張ろうという心境でした」

 眼前の一局――。上位の棋士に取材するとよく出てくるフレーズだ。聞き慣れているので面白味はないかもしれないが、これが真理なのだろう。棋士はどういう結果を残そうと、翌年の棋戦出場が保証されている。「4年に1度」という言葉は、将棋界には存在しない。チャンスがある世界なのだ。だから冒頭で書いたような「勝ちたい」と思い詰めることはせず、感情の波をできるだけ少なくして、実力を安定して発揮することが肝要なのである。

来期につながる戦いができて、前を向けている。

 挑戦者決定戦で、斎藤は言葉通りに普段とは違う指し方を試みた。

「早めに横歩を取らせて銀冠の形を作った。玉形を堅くして、中・終盤の勝負に賭けました」

 実際に勝負を分けたのは終盤戦の入り口だった。斎藤は敵陣に飛車を下ろしたが、形勢を損ねてしまった。

「我慢が足りなかったです。緩衝材のような手を入れてから飛車を打てばまだまだ大変だった」と悔やむ。読みの精度の問題だが、ここばかりは勝ちたいと気持ちが急いて、敵玉に迫ってしまったのかもしれない。

 王位戦の挑戦権をつかむことはできなかったが、手応えがなかったわけではない。

「王位リーグに残留できたので、前回より前進しています。今期の挑戦は潰えましたが、来期につながる戦いはできました。割と前は向けている感じです」と明るい声で話す。

 取材の最後に、どうしても訊きたかったことを尋ねた。斎藤は2022年9月に結婚を発表し、多くの女性ファンを嘆かせた。結婚によって、対局に向かう心境の変化などはあったのだろうか。

「それはなかったですね。変わったことと言えば、敗戦からの回復が早くなったことでしょうか。勝った時は喜んでくれるし、負けた時は別の話題を振ってくれます。妻は将棋界のことをあまり知らないんです。棋戦のことも詳しくないのでかえって気楽ですし、いつも同じ一局という感じで臨めています」と斎藤は照れながら語った。

 精神面の安定と、技術や戦術面での変化と挑戦。2年ほどの長いトンネルでもがいた末に斎藤が至った境地だ。まだ全身で浴びてはいないが、光は射し込んできている。

(原題:[SHOGII]斎藤慎太郎「王位リーグの新たな挑戦で再認識した将棋の面白さ」)

斎藤慎太郎Shintaro Saito

1993年4月21日生、奈良県出身。畠山鎮八段門下。2012年四段、'20年八段。'15年度は新人賞、'15、'16年度は勝率1位に輝く。'18年に王座獲得。現在順位戦B級1組に在籍。詰将棋愛好家でもある。

photograph by Asahi Shimbun

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