#1010
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<最年少街道は続く>記録で辿る異次元の歩み。

2020/09/04
藤井聡太が歩んだ将棋の道は最年少記録とともにあった。
12歳での詰将棋解答選手権優勝を遂げると、史上最年少の14歳2カ月で棋士となり、デビューからまたたく間に29連勝。
最年少での全棋士参加棋戦優勝、タイトル挑戦、初戴冠、二冠……。
もはや驚きを通り越した記録ラッシュの果てには何があるのか。

 目の前に真っ白な雪原が広がっている。伏し目がちの少年が一歩、また一歩と足を踏み出すと、その後ろにはスニーカーの靴跡が残っていく――。

 藤井聡太の将棋の道は、ほとんどそのまま最年少記録の更新とともにあった。

 11歳11カ月で奨励会の初段、12歳7カ月で二段になったのも最年少だったが、この頃の東京での反応は「愛知の藤井君がすごいらしい」という程度の熱量だった。

 若さは将来性に繋がるが、本物であるかどうかは白黒の星の並びだけでは分からない。この時点で別格の評価をしていたのは、師匠の杉本昌隆八段や対戦した奨励会員など、ごく近くにいた人たちくらいだろう。

 奨励会はプロ養成機関の名称であり、一番下の6級でもアマ四、五段。初段や二段は、アマチュアの大人の全国大会を優勝してもおかしくないだけの力を有する。

 11歳、12歳は一般的なプロ志望の少年が6級で奨励会に入る年齢だから、すでに有段者になっていた藤井のスピードが驚異的なのは間違いない。とはいえ奨励会での昇級昇段は過程でしかなく、四段になってプロの戦いの場に立つ、もしくは別の形で力を示す機会がなければ評価は難しい。

規格外の才能を世に知らしめた。

 藤井がその規格外の才能と能力を世に知らしめたのは、二段昇段から1カ月後に行われた「第12回詰将棋解答選手権」だった。

 詰将棋とは、目標となる玉を王手の連続で詰まし上げるパズルである。2人で行う指し将棋(本将棋)と違って、1人でも出来るため、棋士の多くはトレーニングの一環として日常的に詰将棋に取り組んでいる。

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photograph by AFLO

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