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「ムネさん、僕、坊主にします」川﨑宗則が明かす“有くん”との北京五輪&MLB秘話…ダルビッシュが「チェストーッ」と叫んだ理由は?

2024/06/12
北京五輪や2009年WBCで日本代表として共闘した2人
日の丸の重圧を共に背負い、一緒に頭を丸めたこともある。2012年4月、メジャーリーグデビュー戦で苦しむ5歳下の“戦友”に、二塁ベース上から贈った言葉とは。(初出:Number1014号ダルビッシュを語ろう 川﨑宗則 「北京でバリカン、米国でチェストー!」)

 有君に初めて会ったのは、2007年の北京五輪の予選のとき。それまでにもホークスとファイターズで対戦はしていたけど、一緒に食事をしながら話をしたのは五輪予選の福岡が初めてだった。おれ、忙しそうな選手には声を掛けないんだけど、有君はヒマそうだったからさ(笑)。「メシ食いに行こう」って。青木(宣親)と(西岡)剛と、涌井(秀章)も一緒だったかな。

 野球の話が好きでね。彼は野球をすごく見ているから、ビックリした。あの頃のホークスで二軍にいた甲藤(啓介)選手を知ってたからね。インコースへいいシュートを投げるピッチャーなんだけど、有君が「甲藤はいいですよね」って。「お前、甲藤、知ってんの? 喜ぶわ、甲藤」って。

“戦友“ダルビッシュとは北京で坊主に。

 おれにとって、有君は戦友だった。北京五輪、WBCでともに日の丸を背負って、震えながら戦ったからね。北京では一緒に坊主になったし……有君がメシを食いながら「ムネさん、僕、坊主にします」って言い出した。えーって思ったけど、「よし、わかった、おれもやるよ」って、おれが有君の頭を、有君がおれの頭をバリカンで刈った。なかなか自分の思い通りのピッチングができなくて、彼なりに不甲斐ない、何かをこの期間に変えたいという想いがあったんだろうね。坊主にしたからってどうってことはないんだけど、そういうことをしたいというメンタルになってしまった以上、じゃあ、おれもやると言った。あのときはおれも足の骨が折れて思うように動けなかったから、悔しくて歯痒くて、よし、じゃあ、やろうって。そういうの、けっこう好きだからさ。一人だけやらせるのは嫌い。有君がやるなら、おれもやる。

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photograph by Takuya Sugiyama

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