窮地を救った才能はなぜあの時期にフリーの立場にあったのか。反逆の戦術家を探し出したブライトンの快進撃は、不条理にもチームを奪われた男の再起の物語でもあった。
ロベルト・デゼルビのお気に入りは、同胞のダミ声ロックシンガー、バスコ・ロッシだ。彼の代表作に『チェ・キ・ディーチェ・ノー』という一曲がある。
ノーと言うやつもいるんだぜ、と歌っている。デゼルビは30年余のサッカー人生で、強者や権威、世界の不条理に怒りのノーを突きつけてきた。
現役時代は本人曰く「やんちゃなトップ下」。ミラン下部組織で育つもトップチームには上がれず終い、2部と3部が主戦場だったが、弱者だからとカウンター一辺倒のサッカーはまっぴら御免だった。
ショートパスを繋ぐボールポゼッションから攻め立てるスタイルは、10年前に指導者キャリアを始めた人口1万5000人の町のアマクラブ時代から一貫している。ブライトンでの指導メソッドも、セリエAで頭角を現したサッスオーロや東欧の強豪シャフタール・ドネツクで実践してきたことと基本的には変わらない。
「ミランと試合なんかできるか!」
義憤からデゼルビが啖呵を切ったのは、'21年4月のことだ。一部のエリートクラブ連合による欧州スーパーリーグ(以下SL)構想が明るみに出てサッカー界は揺れた。金満クラブへの移籍や栄転の道を閉ざしたくない選手や監督の多くが口をつぐんだ。
当時、地方クラブであるサッスオーロの監督だったデゼルビは、創設12クラブに名を連ねていたミランとの対戦を前に会見で糾弾に及んだ。
「SL構想は貧乏人の子に努力して医者や弁護士になるのを最初から諦めろと言っているのと同じ。私は万人に開かれたサッカーを愛している。それを奪おうとする者は絶対許さない」
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