#1068
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[天才のルーツ探訪]静岡の幸福な男たち

2023/02/15
今沢サッカースポーツ少年団。前列右から4番目が小野、前列左端が高木英大、後列右端がコーチの小野政喜。チームは今沢JFCという名前で現在も活動を続けている
今から35年前、校庭で声をかけられた9歳の少年はボールを操る楽しさを知り、敗北の悔しさを噛み締めいつしか史上最高の選手へと成長していった。彼が静岡を巣立つまでの9年間。そのバトンを繋いだ3人の指導者が、天才との幸せな記憶を振り返る。

 沼津市役所に勤務する高木英大は、実は、あまり乗り気ではなかった。

「今沢校区に住む上司がいましてね。近隣にある団地のカギっ子対策として、今沢小学校にサッカーチームを作ってくれと頼まれたんですよ」

 社会人1年目。もちろん大学までサッカーに没頭していたとはいえ、「いきなり小学生の指導なんて」と腰が引けた。

「ただ、今になって思えば“だからこそ”だったのかもしれないなと。大義名分はカギっ子対策。監督である自分は指導者でも教育者でもなく市役所の職員で、勝つことより楽しむこと、“一人で”じゃなく“みんなで”を大切にしたかった」

 今沢サッカースポーツ少年団(以下、今沢SSS)の発足から10年以上の歳月が過ぎた1988年のこと。相変わらずそんな心構えで子どもたちと向き合い続けていたからこそ、グラウンドの片隅に落ちていた原石に気づくことができたのだろう。

「チームが練習している校庭の隅っこで、じっとこっちを見ている子がいてね。『おいでよ』と声をかけたら、嬉しそうに輪に入ってきました。確か、リフティングをやらせてみたのかな。そうしたらもう、とんでもなくてね」

 思い出し笑いにしては随分と臨場感のあるその表情から、受けた衝撃の大きさを読み取ることができる。

 兄弟が多い母子家庭で育った小野伸二は、家計を気遣って今沢SSSに「入りたい」と言い出せなかったと言われている。しかしそのリフティングをひと目見れば、団地を舞台とする“遊び方”は容易に想像することができた。ひとことで言えば「モノが違う」。だからこそ紙一重の危うさを感じて高木は思った。

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