PK戦による敗退が決まった瞬間、ピッチに崩れ落ち、1番手を務めて失敗した責任を彼は背負い込んだ。不完全燃焼に終わったW杯で突き付けられた現実とは。
「え、そうなんですか? 8番なんスか! 全然知らなかったです。マジっすか……」
2018年9月5日。森保一監督率いる新生日本代表が札幌で活動を始めた直後のタイミングだった。あのとき招集されていた選手の背番号は、一足先にメディアに発表された。セレッソ大阪出身者にとって、「8番」は森島寛晃や香川真司などがセレッソでつけた特別な番号でもある。だから、筆者はその事実を南野拓実に伝えたわけだが、彼の表情から驚き以外の感情が感じ取れた。「やはり嬉しいですか?」とたずねると、笑顔と共にこんな答えが返ってきた。
「いやぁ……『特に何もないです』と、とりあえずは言っておきます(笑)」
南野のカタールW杯にむけた第一歩はそんな言葉からスタートした。代表初ゴールも、セレッソ卒業生にとって特別な意味を持つ番号を背負って決めている。
あれからおよそ4年と3カ月。背負う番号は9番を経て、10番へと変わった。
「僕は、もともとPKを蹴りたいタイプなんです。自信もあるし……やはり、チームを勝利に導きたいと思う気持ちが強いので」
今年4月、PKへの想いをそう表現していた南野は、クロアチアとのPK戦で、最初のキッカーとして名乗りをあげた。
日本代表がPK戦を戦うのは、'15年1月23日のアジアカップのUAE戦以来。あのときの最後のキッカーは、セレッソの先輩で、南野が尊敬してやまない香川だった。
'22年12月5日。先攻となった日本の1番手として南野の放ったシュートは、クロアチアのGKリバコビッチに阻まれた。
特製トートバッグ付き!
「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています
photograph by Miki Sano