もう、漫才をやめようと思っていた。
妻子もいるのに、稼げない。それでもスーパーマラドーナの武智は、M-1に取り憑かれていた。
愛媛県松山市出身。肉体労働をしながら生計を立てていたが、友だちに誘われるままに1999年、大阪のNSCに入校。22期生で南海キャンディーズの山里亮太らが同期に当たるが、武智にはさしたる野心もなく、漫然と時間を過ごしていた。ところが――。2001年に始まったM-1が武智の人生を変えた。中川家、麒麟の漫才はあまりにも衝撃的で圧倒された。
なんやこれ。俺もあの決勝のステージ立ってみたいな……。
その思いを叶えるべく'03年に初出場すると、8年連続で挑戦したが準決勝止まり。そしてあろうことか'10年を最後にM-1は休止となってしまう。その後、他の賞レースでは優勝するなど実績を残したが仕事にはつながらず、40歳を前にして、妻子を養う責任もジワリと両肩に背負っていた。
どこかでやめる潮時を探っていたかもしれない。でもやめるきっかけが見つけられない。そんなとき、'15年にM-1が復活する。これしかない。今度こそ決勝に進めなかったら漫才をやめよう。
「M-1があるんや。この1年だけ、耐えてくれへんか」
そう言って妻に頭を下げた。仕事はないが、漫才をやりたい。収入のメドはまったく立たなくなるが、それでもわがままを聞いてもらった。
'15年、武智の1日は漫才のために捧げられた。ネタを作るのは夜だった。今里筋線の「蒲四(がもよん)」こと蒲生四丁目にあるガストに入ると、ドリンクバーで延々と粘ってネタを作っていく。気持ちと懐に余裕があるときだけ、みそラーメンを食べた。
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