#1064
巻頭特集

記事を
ブックマークする

[届かなかった頂点]スーパーマラドーナ 武智「真夜中の青春が過ぎ去って」

2022/12/02
きっと、誰よりもM-1のことを思っていた――。それでも目指す先は高く、遠く、辿り着けなかった。今も幻影を追い続ける男が、執着ともいえる感情の芽生え、悩み苦しんだ日々、夢潰えたその後について語った。

 もう、漫才をやめようと思っていた。

 妻子もいるのに、稼げない。それでもスーパーマラドーナの武智は、M-1に取り憑かれていた。

 愛媛県松山市出身。肉体労働をしながら生計を立てていたが、友だちに誘われるままに1999年、大阪のNSCに入校。22期生で南海キャンディーズの山里亮太らが同期に当たるが、武智にはさしたる野心もなく、漫然と時間を過ごしていた。ところが――。2001年に始まったM-1が武智の人生を変えた。中川家、麒麟の漫才はあまりにも衝撃的で圧倒された。

 なんやこれ。俺もあの決勝のステージ立ってみたいな……。

 その思いを叶えるべく'03年に初出場すると、8年連続で挑戦したが準決勝止まり。そしてあろうことか'10年を最後にM-1は休止となってしまう。その後、他の賞レースでは優勝するなど実績を残したが仕事にはつながらず、40歳を前にして、妻子を養う責任もジワリと両肩に背負っていた。

 どこかでやめる潮時を探っていたかもしれない。でもやめるきっかけが見つけられない。そんなとき、'15年にM-1が復活する。これしかない。今度こそ決勝に進めなかったら漫才をやめよう。

「M-1があるんや。この1年だけ、耐えてくれへんか」

 そう言って妻に頭を下げた。仕事はないが、漫才をやりたい。収入のメドはまったく立たなくなるが、それでもわがままを聞いてもらった。

 '15年、武智の1日は漫才のために捧げられた。ネタを作るのは夜だった。今里筋線の「蒲四(がもよん)」こと蒲生四丁目にあるガストに入ると、ドリンクバーで延々と粘ってネタを作っていく。気持ちと懐に余裕があるときだけ、みそラーメンを食べた。

会員になると続きをお読みいただけます。
オリジナル動画も見放題、
会員サービスの詳細はこちら
特製トートバッグ付き!

「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

photograph by Naohiro Kurashina

0

0

0

前記事 次記事