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松坂大輔「高校は帝京へ行くつもりだった」(連載5)

2022/06/01
進学先候補だった帝京高校は松坂が中学3年時の'95年、夏の甲子園で星稜高校を破って2度目の優勝を果たす
世界大会でトップレベルの同世代とチームを組んだことにより、高校進学の選択に迷いが生じる。幼い頃からの憧れ帝京高校か、戦友が勧誘する横浜高校か。この決断が運命を大きく動かす。

 松坂大輔にとって中学最後の夏の大会がやってきた。全日本のユニフォームを着て戦ったブラジルから帰国してすぐ、江戸川南シニアは日本選手権に出場したのだ。舞台は初の神宮球場。世界大会で最優秀防御率賞を獲得した松坂は俄然、注目を浴びた。

◆◆◆

 江戸川南シニアは夏の関東大会で優勝していたので、第1シードで2回戦からの出場でした。相手は春の選抜大会の決勝で負けた京都北シニアです。京都北にはのちに桐蔭学園へ進む松本祥平という左ピッチャーがいました。1学年下でしたが、それを聞いて驚きました。バッターボックスに入って体感したスピードには「オレより速いんじゃないか」って思わされましたからね。

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photograph by KYODO

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