'99年、前哨戦敗北で潰えた稀代のスターホースの世界挑戦。しかし悔恨の先には雪辱のレースがあった。白井寿昭元調教師が愛馬との季節を振り返る。(初出:Number1051号 [23年前の真相をたずねて]スペシャルウィーク「幻と消えた凱旋門賞」)
かつては「世界」が感覚的に遠かったためか、1985年に渡欧したシリウスシンボリが'87年に帰国してから、2006年にディープインパクトが凱旋門賞に出走するまで、20年ほど日本のダービー馬が海外遠征に出なかった時期があった。
しかし、そんな時代にあってもなお、陣営が「世界制覇」へのプランを抱いていたダービー馬がいた。
'98年のダービーを5馬身差で圧勝したスペシャルウィークである。
父は産駒の活躍で旋風を巻き起こしていた大種牡馬サンデーサイレンス。
母のキャンペンガールは未出走だったが、3代母には名牝シラオキがおり、8代母は1907年にイギリスから輸入されて「小岩井の牝系」を形作った1頭のフロリースカツプという超良血だ。
こうした血統背景を持ち、'95年5月2日に日高大洋牧場で生まれたスペシャルウィークを、調教師として管理した白井寿昭は、生まれる前から狙っていたという。
「早い時期でないとありのままの姿がわからないので、この馬が生まれた翌日か翌々日には見に行きました。サンデー産駒らしく、すらっとした、いい馬でしたよ」
数日後、白井が次にスペシャルウィークを見に行ったときには、母のキャンペンガールはすでに世を去っていた。
「それでサラブレッドではない乳母に育てられたんです。そういう環境に置かれた馬は、人間と接することも多くなって関係が深まりますから、人を信頼するようになり、素直な馬に育ったのでしょうね」
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photograph by Keiji Ishikawa