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[Wインタビュー]村上宗隆×奥川恭伸「プライムタイムはこれからだ」

2022/03/17
年々凄みを増し、いまや球界を代表するスラッガーと、エースへの道を着実に歩み始めた3年目の本格派右腕。一方が課題と反省を口にすれば、一方は自信を漲らせる。対照的なふたりが描く、スワローズの明るい未来とは。

 2018年、村上宗隆。

 2020年、奥川恭伸。

 このふたりの入団がヤクルトの歴史を変えた。

 日本一になった'21年、村上は東京オリンピックで金メダル、さらに自身初めてとなる本塁打王を獲得した。そして奥川は開幕から中10日ほどの間隔でローテーションを守り、チームの勝ち頭となる9勝を挙げただけでなく、クライマックスシリーズの巨人戦、日本シリーズのオリックス戦といずれも初戦の大役を担い、エースへの道を進んでいる。

 高校を卒業してから間もないふたりが大きな戦力となったのは、ヤクルトの育成方針が功を奏したからでもある。村上が'18年に入団した時に二軍監督だったのは、現在は一軍の指揮を執る高津臣吾監督だ。

「ムネ(村上のニックネーム)は入ってきた時から、これはモノが違うと思いました。体の大きさ、強さ、そして打球のスケール。僕自身、どんなことがあっても4番から動かすつもりはなかったし、'18年の9月には一軍に昇格させて、雰囲気を知ってもらえれば、翌年につながると考えたんです」

 村上は昇格した最初の試合に6番で登場、いきなり初打席で初本塁打を放った。その瞬間、村上を一軍に送り出した二軍コーチ陣が大騒ぎになったと高津監督は思い出す。

「もう、みんな興奮しちゃって(笑)。LINEがムネ祭り」

 2年目に関しては、「もう少し二軍で教えられることはあったけれど」と高津監督は迷いも見せたが、開幕から一軍に定着。打率は2割3分1厘だったものの、本塁打36本、打点は96で新人王を獲得した。三振は184個でリーグトップだったが、村上の魅力は、まだ10代だった2年目に確立されていた。

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photograph by Kentaro Kase

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