セナとプロストの確執が表面化した'90年にマクラーレンに移籍、いたずら好きと節目の活躍でいまも人々の記憶に残る好漢。雪深いオーストリア・チロル地方で家業を営む彼を訪ねると、温かくわれわれを迎え入れ、セナとホンダについて語りはじめた。
車窓から遥かに望む美しい雪山に心躍らせ、ベルガーが待つオーストリアのチロル地方へ向かう。コロナ禍とあって国境の臨時検問所では政府の事前渡航申請やPCR検査の陰性証明書類のチェックがあり、車のナンバーまで登録させる厳戒態勢だ。ようやく辿り着いたベルガー・グループ本社で、秘書の女性に続いて重い扉をくぐると、親しみのある笑顔でベルガーが迎えてくれた。
'84年にATSでF1デビュー、翌年にアロウズ、ベネトン、そして'87年にはフェラーリへと飛躍的なステップアップを重ね、'90年にマクラーレン・ホンダへ。
「もう、随分と昔のことだね」とベルガーが若かりし日をゆっくりと語り始めた。
――あなたのことを、'87年、鈴鹿での初開催となった日本GPを勝ったドライバーとして記憶している日本のファンも多いと思います。
「あの時、初めて日本へ行って、見るものすべてが新鮮だった。レースウィークには本当に信じられないくらい多くのファンで鈴鹿サーキットや周辺が溢れ返り、グランプリが開催される喜びで皆の笑顔が輝いていた。そして日曜日、サーキットの何kmも手前から、歩道に隙間なくファンが並び、私たちドライバーを迎えてくれたんだ。あの光景に震えるほど感動したのを今でも鮮明に覚えているよ。この尊い体験に、私は一瞬にして日本という国、そして日本人に恋し、その気持ちはいまも全く変わっていない。長らく日本のファンに応援して貰ったが、いまは私が日本のファンなんだ」
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