#1004
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<日本サッカーの理想形> 名波浩「泥臭さと華麗さと」 2001/2002 ジュビロ磐田

2020/06/04
高給な助っ人はゼロ、ほとんど地元出身者だけのチームが、ボールを美しく操り、ときに泥臭く奪い、常に相手を圧倒していた。文字通りの中心人物とライバルの証言で、J史上最強をひも解く。(Number1004号掲載)

2001 ジュビロ磐田
読者投票 第8位
選手投票 第9位

2002 ジュビロ磐田
選手投票 第1位
読者投票 第2位

 強い者が勝つわけではない。

 そこが勝負の世界の面白さであり、難しさでもあるのだろう。ただ、彼らにはそれを軽々と乗り越える何かがあった。

 強者にして勝者――それが、2002年のジュビロ磐田である。

 ことあるごとに「Jリーグ史上最強」と語り継がれてきた。強いどころではない。もう圧倒的に強かった。あれから20年近くが経ったいまも、その評価は少しも揺らいでいない。

「もう強いというイメージしかなかったですね。これは勝てないなと。個々のレベルは高いし、ミスもない。ボールを支配されてしまうから、こっちはカウンターで攻めるしかない。本当に隙がなかった」

ガンバの二川が感じた磐田の強さ。

 2000年代後半からガンバ大阪の黄金期を支えた二川孝広は磐田の強さを肌で感じた一人だ。当時22歳。ボール扱いが巧みで、敵の嫌がる場所に潜り込み、決定的な仕事をこなす若手の有望株だった。

 その二川や遠藤保仁らを擁した2002年のG大阪は敵地の磐田戦で4-5という壮絶な撃ち合いを演じている。最後は延長Vゴールで敗れたものの、この年の磐田から4点も奪ったのはG大阪だけだ。

「4-2と2点差をつけたときは勝てそうかなと思ったんですけど、あっさり逆転されて……。磐田はどんどん人が攻め上がってくるし、仕掛けるタイミングもよかった。攻め手が多彩でしたね」

 若き日の二川はそんな磐田に強い憧れを抱いてもいた。

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photograph by Akio Kubo(Jubilo/Kumafu Media)

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