最高の結果を残し脚光を浴びてから、16年目の冬。
日本ジャンプ陣が苦戦を強いられる中、今なお
現役の2人のベテランは、なぜ飛び続けるのか。
1998年の長野オリンピックで、日本のジャンプ陣は4つのメダルを獲得した。個人ノーマルヒルで船木和喜が銀、ラージヒルでは船木が金、原田雅彦が銅、団体では先のふたりに斉藤浩哉、岡部孝信が加わったメンバーが金。準パーフェクトとも呼べるような成績で世界の頂点を極めた。
団体のメンバー4人のうち、原田と斉藤は現役を退き、指導者の道を歩んでいるが、船木と岡部はいまもなお現役で飛びつづけている。岡部は10月には44歳、船木も4月には39歳になる。競技会に出ると、息子のようなティーンの選手たちと並んで順番を待つことも少なくない。
かつて頂点を極めたふたりだが、その後の競技生活はかならずしも順調とはいえなかった。さまざまな紆余曲折がある中で、ふたりはそれでもジャンプから離れなかった。
そのことと、かつて世界一だったことの間にはどんな関係があるのか。それを知りたくて長野から4回目のオリンピックを目前にした12月、北海道に向かった。
リレハンメルの銀は「こんなこともあるんだなあ」。
1970年10月26日、北海道生まれ。'94年リレハンメル五輪で団体銀。長野五輪団体では、2本目にバッケンレコードとなる137mを飛び金メダルに貢献。今季は国内開幕戦を制し、4季ぶりに海外のW杯メンバー入りを果たした。
岡部にとって、長野は2度目のオリンピックだった。その前のリレハンメル大会では団体のメンバーとして銀メダル獲得に貢献している。獲得と書いたが、誰もが知るようにリレハンメルの団体銀はほとんど手に入れていた金を逃した末の銀だった。メンバーで最後に飛んだ原田が失敗してドイツに逆転を許してしまった。日本中が落胆したといってもよい銀だったが、岡部は比較的冷静に受け止めていた。
「逃したって感じはありましたよ。こんなこともあるんだなあって。でも、立ち上がれないほどがっかりというほどでもなかった。だいたい団体のメダルっていうのはあんまり考えていなかったんです。オリンピックは大きなイベントですが、ぼくはそれほど特別には考えない。目標をオリンピックに定めて、それにあわせて調整するということはリレハンメルでも長野でもしなかったですね」
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