いつしか彼の名を聞かなくなった。そして今夏、
慣れ親しんだフランスを離れ、馴染みの薄い
東欧のクラブへ。このまま終わるわけにはいかない――。
不遇の4年間を回想し、復活への決意を語る。
「もう、9年目っすかぁ」
松井大輔は昔を懐かしむように言った。京都から海外に飛び出し、フランス2部リーグのル・マンに移籍したのは2004年9月、23歳の時だった。
あれから8年、2カ国5チームを渡り歩いて辿り着いたブルガリア。
「最初は1、2年で日本に戻るんだろうなって思ってたんですけどね」
あれから8年が経過し、2カ国5チームを渡り歩き、9年目となる今シーズンは東欧の国ブルガリアへと辿り着いた。
「今思えば、短かったなぁって感じ。俺の場合、ここ4年間のことがあるんで余計にね」
そう言うと、声を出して笑った。
すでに日本でプレーした以上の年月を海外で過ごしている。だが、これまでの道のりは決して順風満帆ではなかった。とりわけこの4年間は怪我もあり、試合から遠ざかる時間が長かった。それでも、今なお海外での挑戦を続けている。
「ル・マンにいた頃は、結果しか見てなかったですね。スタンドにはいろんなクラブのGMや代理人がいて、1点取れば違う代理人から電話が掛かってくるような状態だった。選手はみんな『ビッグクラブに行きたい』って考えていて、どこに行きたいかをシャワールームで話し合うのが日課になっていた。実際、仲間が数億円でいろんなチームに移籍して、その金でクラブハウスが出来たり、スタジアムが改修されたり、会長がベントレーに乗ってきたり。身近にすごい世界が見えていたので、結果を求めて高いモチベーションでサッカーしていた」
「ル・マンの太陽」が、サンテティエンヌで過ごした不遇の時。
その活躍から「ル・マンの太陽」と称された松井は、4年目にリーグ戦34試合出場5得点という結果を残し、ひとつの区切りをつけた。'08-'09シーズン、ステップアップして行ったチームメイト同様、松井もフランス1部のサンテティエンヌへ移籍した。
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