欧州の頂点を極めた男が、10年ぶりに帰ってきた。
母国開催のユーロのために、ビッグクラブとの契約を振り切って。
最後の舞台へ向け、故郷キエフでその牙を研ぐ英雄。
彼の口から語られたのは、ウクライナサッカーへの愛だった。
母国開催のユーロのために、ビッグクラブとの契約を振り切って。
最後の舞台へ向け、故郷キエフでその牙を研ぐ英雄。
彼の口から語られたのは、ウクライナサッカーへの愛だった。
今から3年前の夏に、アンドリー・シェフチェンコはひとつの決断をした。
2009年8月、シェフチェンコはロンドンにいた。身にまとっていたのはチェルシーのユニフォーム。彼は始まったばかりの2009-2010シーズンを戦っていて、ベンチにはミラン時代の恩師カルロ・アンチェロッティ監督がいた。
負傷が続いたそれまでの数年間は彼にとって不本意なものだった。納得のいくプレーは見せられず、前年は古巣のミランにレンタル移籍。かつてのストライカーの復帰にミラニスタは沸いたが、サンシーロでの1年間も満足のいくものではなかった。
チェルシーとの契約はあと1年残っていて、コンディションにも手応えを感じていた。しかし彼は、古巣のディナモ・キエフへ戻ることを決断する。背中を押したのはひとつの思いだった。
「僕にとって1番大事なこと。それは何よりもユーロ2012だった。もちろん、色んなことを考えた。契約も残っていたし、他のクラブにいく選択肢だってあった。プレミアリーグにチャンピオンズリーグ。欧州の頂点でサッカーをし続けたいっていう気持ちもあった。それでも思ったんだ。僕はいま国へ帰るべきなんだと」
祖国は10年ぶりの英雄を温かく迎え入れた。
細く、薄い色をした木々が並ぶキエフ郊外、ディナモ・キエフの練習場の一室で、シェフチェンコは懐かしむように話す。
シェフチェンコがウクライナに帰ってくる――。祖国は10年ぶりの英雄を温かく迎え入れた。国中のメディアが彼の帰還を大々的に報じ、人々はその姿を見るためにスタジアムへと駆けつけた。
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photograph by Daisuke Nakashima