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ボクサーの駄目家族と疲れた町。
~映画『ザ・ファイター』の魅力~
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph by(C)2010 RELATIVITY MEDIA. ALL RIGHTS RESERVED.
posted2011/03/12 08:00
3月26日(土)より 丸の内ピカデリー他全国順次ロードショー
マサチューセッツ州ローウェルという「疲れた街」。
というわけで、ミッキーはなかなか勝てない。
兄を乗り越えることもできない。本来は味方であるはずの母と兄に足をひっぱられているのだから、これは致し方ない。実際の話、ミッキー・ウォードは1990-1991年に4連敗を喫したあと、約3年間、いったんリングから離れている。そんな彼を立ち直らせようと考え、モンスター的な家族の前で身体を張ったのが、酒場で働くシャーリーン(エイミー・アダムス)という若い娘だった。
ちょっと入り組んだこの関係を、監督のデヴィッド・O・ラッセルは、ざらっとしたタッチの映像に骨太の笑いをときおり交えつつ、観客の前に差し出してみせる。
ここで生きてくるのが、主人公が暮らすマサチューセッツ州ローウェルの町の描写だ。くわしい説明は省くが、ローウェルは時代遅れの工業都市だ。通りはさびれ、肉体労働者の声には怒りと自嘲が混じり、町の空気からは疲弊の色が濃く滲み出ている。いいかえれば、ディッキーとミッキーの兄弟をはじめとするこの映画の登場人物に、ローウェルの町はとてもよく似合っている。
監督のラッセルも、この背景を得た瞬間、カチッと音がするような手応えを覚えたのではないか。
そう、映画の柱となるのは疲れた町のクレイジーな家族の物語にほかならないのだが、その物語を成り立たせているのは、やはりボクシングなのだ。
逆にいうと、ボクシングという素材がなければ、『ザ・ファイター』は味を出すことができなかったにちがいない。このねじれた関係が私には面白い。
『ザ・ファイター』はボクシング映画の変種として、記憶にとどまる一本になった。