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FAの人的補償はどうあるべきか?
高濱卓也の移籍劇に潜む逆説。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2011/03/07 10:30
横浜高では1年時からレギュラーで、2年時に3番・遊撃手として出場したセンバツでは優勝の原動力となった。膝の故障に悩まされてきたが、今季は飛躍が期待されていた
「将来FAで戻ってきて欲しい」――。
フリーエージェントでロッテから小林宏投手を獲得した阪神が、人的補償で高濱卓也内野手を放出することになった。
高濱は神奈川の名門・横浜高から2007年のドラフト1巡指名で阪神に入団。しかし、ケガに泣かされて、昨年までの3年間は1軍経験がなかった。
その高濱にロッテが白羽の矢を立てたのはキャンプ、オープン戦でのブレークがきっかけだった。不安だったひざの故障も完治。キャンプではようやくその才能が芽を吹き、オープン戦、練習試合など6試合で5割7分1厘のハイアベレージをマークしていた。この選手がプロテクト名簿の28人から外れていたのは、名簿提出が2月10日と完全に結果を残す前だったこととも無関係ではない。
当初、ロッテは金銭補償を求める意向もあったようだが、相次ぐ野手の故障と高濱の好調さを見て、最終的に人的補償を選択。この時期での移籍劇となったわけだ。
キャンプで好成績だった高濱の気持ちは想像するに余りある。
「ほんとにギリギリだったよ」
こう話していたのは、昨年亡くなった日本ハムの小林繁投手コーチだった。
江川卓投手の巨人へのトレードで、交換要員として阪神移籍を通告されたのは、キャンプイン前日の1月31日だった。キャンプ地・宮崎に移動する羽田空港から、東京・大手町にあった巨人の球団事務所に呼び戻されてのものだった。
「もし、あの通告がキャンプに入ってからだったら、もっと悩んだかもしれない。まあ、最終的には受け入れるしかなかったんだけどね。でも、あれがキャンプで巨人の一員としてスタートを切った後だったら、自分の中でけじめをつけるのに、もう少し時間がかかったと思う」
キャンプイン直前でも精神的にギリギリだったと小林さんは述懐した。それを思うと、キャンプで好成績を残しながら移籍を通告された高濱の気持ちは想像するに余りある。
そしてロッテへの移籍が発表された日。