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ラグビーPRESSBACK NUMBER
「トイメン殺して俺も死ぬ!」東大ラグビー部の“狂気”…明治、早稲田に100点差で負け続けた男たちは、なぜ最後に笑ったのか?
text by

山川徹Toru Yamakawa
photograph byKeiji Ishikawa
posted2026/11/04 11:01
青春時代を過ごした東大ラグビー部のグラウンドで撮影に応じるブラインドラグビー日本代表ヘッドコーチの村田祐造(51歳)
挑戦の原点にある東大ラグビー部について、村田は打ち明ける。
「言葉は悪いかもしれませんが、東大ラグビー部を舐めていたんです」
1975年生まれの村田は、埼玉県立川越高校で楕円球に出合う。フルバックとして活躍し、1年間の浪人生活を経て、東大ラグビー部の門を叩く。
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当時、東大ラグビー部には約80人の部員がいたが、4割程度が初心者。高校時代、本気でラグビーに打ち込んだ村田は、すぐにレギュラーになれるだろうと高をくくっていた。その見込みは、“狂気”の前に脆くも崩れ去る。
1994年9月。関東大学対抗戦開幕の早稲田大戦を前に、東大ラグビー部のジャージ授与式が行われた。しかし、左ウイングの11番のポジションを手にしたのは、大学からラグビーをはじめた3年生の先輩だった。村田は、内心、自分の方がレギュラーにふさわしいと考えていた。だが、先輩のスピーチにその自信が揺らぐ。
部員たちの前に立った先輩はおもむろに語り出した。
「俺はこのジャージをはじめて着て、対抗戦に出る」
そして彼は絶叫した。
「なんにもできねえかもしんねえけど、トイメン(対峙する相手選手)殺して俺も死ぬ!」
彼は、受け取ったばかりの11番のジャージで大粒の涙を拭きはじめた。村田は振り返る。
「その姿を見て、超やべえところにきちゃったのかも、と思いました。死ぬ気でやんないとレギュラーになれないのか。そんな覚悟もなかったのに、思い上がってすみませんでした、と」
「負けて泣くなら勝って死ね」
高校ラグビーで活躍し、のちに日本代表となる選手たちを擁する明治大や早稲田大にどう立ち向かうか。身体能力や経験では太刀打ちできない。だとしたら、頭脳で勝つしかない。しかしどれだけ考えても、突破の糸口すら見えない。
「合理的に考えてもダメだとしたら、あとは根性と覚悟しか残っていないんですよ」と村田は笑う。
東大ラグビー部では、「死」という言葉が日常的に飛び交っていた。「トイメン殺して俺も死ぬ」だけではない。チームには「負けて泣くなら勝って死ね」という言葉が伝わり、試合前に「遺書を書け」と迫るコーチもいたという。
試合になれば、村田はチームメイトと「おい、ここで死のうぜ!」「この試合、勝って死のう!」と声を掛け合いながら、プレーした。

