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「絶対に監督をさせてはいけない」張本勲のロッテ監督就任報道も…なぜ消えた? 「監督として不向き」王貞治に張本が重ねた“プロ野球監督の適性”

posted2026/10/08 06:01

 
「絶対に監督をさせてはいけない」張本勲のロッテ監督就任報道も…なぜ消えた? 「監督として不向き」王貞治に張本が重ねた“プロ野球監督の適性”<Number Web> photograph by JIJI PRESS

9月9日に86歳で死去した張本勲さん。写真は2018年「名球会ベースボールフェスティバル」

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王貞治、長嶋茂雄、金田正一らレジェンドが監督に就任していく中で……。張本勲“監督”はなぜ実現しなかったのか。

「絶対に監督をさせてはいけない。勲ちゃんが死んでしまう」

 張本勲の母が張本夫人にそう告げたのは、息子がいかに野球に命を燃やしてきたかを誰より近くで見てきたからだった。

 1981年秋、スポーツ紙はこぞって「張本ロッテ監督」の誕生を報じた。〈明日にも誕生〉〈昨夜、監督を受諾〉――見出しだけ追えば、就任は既定路線に映った。だが張本は引退会見で静かに固辞する。「23年間も働いて来たんだから、ワンクッション置きたい」「視野が狭くなっているから、もう一度自分自身を見つめ直したい」。

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 その後もロッテは83年、89年オフに打診を重ね、日本ハムからも依頼があった。いずれも実現しなかった。

張本が固辞した理由

 張本が固辞し続けた理由は2つある。1つは母の言葉だ。何事にものめり込む息子の性格を知り尽くした母の懸念を、張本は「重く受け止めていた」と後年に語っている(21年12月27日号/週刊ベースボール)。

 もう1つは、張本の強過ぎる責任感だった。

〈志半ばでユニフォームを脱いでいく選手たちがいる。その選手たちのその後の面倒、就職先まで見てやれるかと考えると、私にはとてもできない〉(前掲誌)

 だが、それだけではなかった。引退直後、張本には監督への意欲があった。名球会の総会でハワイ旅行をした際に、ONや金田正一、稲尾和久と「六十歳になる前に、金田、王、長島、稲尾、張本監督を実現し」ようと語り合ってもいる(82年1月14日号/週刊文春/連載『三千本安打の張本勲がゆく』)。

 心変わりのきっかけは、親友・王貞治の歩みにあった。

 解説者に転身した82年、王は巨人の助監督を務めていた。現役時代からの完璧主義は指導者になっても変わらなかった。84年に監督に就任した王は、駒田徳広がレフト前にタイムリーを打っても「今の球はライトスタンドに運べた」と怒った。取材を通じてその姿を見続けた張本は、著書『ON論』にこう記した。

〈王にできても、他の打者には不可能な場合がほとんどなのである〉

 そして、自分もまた同じ完璧主義者だと気づいた。現役時代、何かが閃けば夜中に布団から飛び出して素振りを始め、3発打っても翌日には「今日は打てないかもしれない」と不安になった。パーフェクトを追い求める姿勢は、選手としては武器だった。しかし指導者がそれを他者に求めれば、王のような孤独と批難が待っている。

〈あの世界の王でも、やられたのだ〉

 張本はそう述べ、王から「オマエは元気でいいな。私もミスターもこんなヒドい目にあったんだ」と告げられたエピソードも明かしている(09年10月発行/著書『イチロー論』)。

 王は後にダイエー・ソフトバンクで優勝3回、日本代表をWBC初代王者へと導いた。張本は王について〈名監督であったことは確かである〉と認めながらも、〈本質的に王は、監督に不向きなタイプ〉と繰り返した。性格の似た自分が監督の座に就いても、同じ道をたどるだけだと感じたのだろう。

 なぜ張本がその結論に至ったのか。実際にあった“4度のオファー”など詳細は本編で詳しく語られている。

〈つづく/本編へ〉

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