- #1
- #2
NumberWeb TopicsBACK NUMBER
「じつはプロ野球史上最高の18歳だった」張本勲の伝説…米田哲也に敗れ、守備ミスで交代命令「二軍落ちかもしれない…」天才の逆襲がはじまった日
posted2026/09/16 06:00
現役時代の張本勲さん。今月、86歳で亡くなった
text by

NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Sankei Shimbun
「ああ、これでもうダメだ。明日から二軍落ちかもしれないとガックリきた」(『闘魂のバット 3000本安打への道』張本勲著)
開幕後、18歳の張本勲には眠れない日があった。
1959年、東映フライヤーズに高卒ルーキーとして入団した張本は、開幕スタメン「6番・レフト」に名を連ねた。阪急の先発は2年連続20勝の米田哲也。プロ初打席は3球全て空振りの三振。さらに2回のレフト守備では打球を見失い、その場で交代を命じられた。
ADVERTISEMENT
だが同郷の岩本義行監督は、翌日も迷わず張本をスタメンで起用した。意気に感じた18歳は、1打席目にプロ初ヒット、2打席目に初ホーマーを放つ。いずれも初球打ちだった。前日を含む3打席で、見た球すべてにバットを振った。積極性だけを武器に、5試合目までで打率.467を叩き出した。
5月以降は低迷し、ベンチを温める日が増えた。スランプを訴えようとした若造に、先輩・毒島章一はこう言い放った。
「なに? スランプ? スランプという言葉はね、まだ1年生の君たちが使う言葉じゃない」(同掲書)
この直言を噛み締めた張本は、自力で這い上がると誓った。
転機は6月に訪れる。先輩・山本八郎が相手捕手への暴力行為で無期限出場停止となり、ポジションが空いた。張本は7試合連続ヒットで頭角を現し、6月23日には遂に「4番」へ抜擢される。プレッシャーより喜びを感じていた。
「やっぱり四番は面白いですよ。ランナーのいるときが多いから」(1959年9月9日号/週刊ベースボール)
8月には月間打率.337。1年目で不動の4番に定着した張本は、記者投票141票中111票を集め、新人王に選ばれる。10月の表彰式、式典が終わると彼はネット裏へ向かい、母と兄にトロフィーを高く掲げた。
この年以降、野手で高卒1年目の新人王は、清原和博(1986年)まで27年間、誕生していない。
ただ、輝かしい新人王の裏に、張本は深い後悔も抱えていた。その内容は、本編で詳しく描かれている。
◆
この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
