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「暴力ふるっていない」事件の“濡れ衣”で巨人入団できず…張本勲の激動人生「高校だけは卒業してくれ」格安の契約金でプロ野球チームに入るまで

posted2026/09/15 06:00

 
「暴力ふるっていない」事件の“濡れ衣”で巨人入団できず…張本勲の激動人生「高校だけは卒業してくれ」格安の契約金でプロ野球チームに入るまで<Number Web> photograph by KYODO

現役時代の張本勲さん。今月、86歳で亡くなった

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NumberWeb編集部

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張本勲さんが9月9日、86歳で亡くなった。通算3085安打の大記録をもつ張本さんは、いかなる選手だったのか。その怒涛の人生を辿った連載記事の凝縮版をお届けする。

「張本はね、本当はジャイアンツに行きたかったらしいんだな。でも、いろいろあった末に、同じ広島出身の岩本(義行)監督、浪商の先輩・山本八郎のいた東映に入団したみたい。『おまえ来い』と言われたら、行かなきゃいけなかった。すげえ時代だよ(笑)」

 東映フライヤーズOB会会長も務めた八名信夫は、そう振り返る。張本勲のプロ入りは、波乱の道のり、そして格安の契約金から始まった。

 浪華商業高校2年の夏、巨人・水原円裕監督から直接入団を勧められた張本だが、仕送りを続ける兄の「高校だけは卒業してくれ」という言葉に従い、誘いを断った。その秋、近畿大会大阪予選で13試合11ホーマー、打率.560という圧倒的な数字を残した直後、上級生の暴力事件の責任を負わされ、休部処分を受ける。著書『闘魂のバット 3000本安打への道』の中で張本は「天地神明に誓って暴力はふるっていない」と断言しているが、処分は覆らなかった。甲子園への夢は、濡れ衣とともに消えた。

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 それでも10球団が争奪戦を繰り広げる中、巨人は名乗りを上げなかった。水原監督は獲得を申し出たものの、球団代表に「野球部を除名されたような乱暴者はとらない」と一蹴されたという。兄はスカウトの人柄に惚れて中日を勧めたが、張本は同郷の岩本監督と先輩・山本八郎のいる東映フライヤーズを選んだ。

 後から知った契約金は200万円。中日の600万円とは大差があった。それでも18歳の張本は、大川博オーナーに臆することなく言い放った。「ぼくが二百万円という安い契約金で入団したことを覚えていてください。これからタイトルをとるたびに、ぼくはそれなりの要求はさせていただきます」(『不屈の闘魂 張本勲』大島幸夫著)。44歳年上の権力者を前にした、度胸の一言だった。

 入団後も障壁は続く。当時の外国人枠に韓国籍の張本も含まれるとされ、大川オーナーから養子縁組を提案された。母親は「そんなことをするなら、野球をやめなさい」と一喝(『闘魂のバット 3000本安打への道』)。張本が断ると、今度はオーナー自ら代表者会議に働きかけ、「15年以上の在住者は日本人扱いに」とルールを変えてみせた。

 キャンプでは「力まかせにバットを振り回しているだけ」(1959年3月15日号/週刊明星)と評論家に酷評され、変化球への弱さも露呈した。4歳の時に右手の指を大ヤケドして自由に扱えなくなっていたことが一因だった。松木謙治郎打撃コーチはその弱点を即座に見抜き、右手だけのトスバッティングを1日300回繰り返させた。

 八名信夫は張本の強さをこう語る。

「ハリは、猛練習に耐えられる体の強さがあったんだろうな。それに、『絶対に負けない』という強烈な闘争心も持っていた」

 こうしてプロ入りを果たした張本勲。その道のりと、プロ1年目に衝撃デビューを果たすまでの詳細は、本編に記されている。

〈つづく〉

 ◆

 この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。

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