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甲子園の風BACK NUMBER
“甲子園優勝”智弁和歌山を「最も苦しめた男」は何者だった?「甲子園、見に行ったんですよ」まさかの「夢は美容師」だった“公立校の151キロ右腕”の軌跡
posted2026/09/02 11:03
全国制覇を果たした智弁和歌山の売りでもある強打を抑え込んだ、和歌山の公立校の「151キロ右腕」とは何者だったのか
text by

沢井史Fumi Sawai
photograph by
Hideki Sugiyama
8月末のある日。すでに秋の公式戦が始まっている市和歌山のグラウンドは、週末の一戦に向けた新チームの練習で活気にあふれていた。
その傍らで髪の毛が伸びた練習着姿の3年生が野球道具を抱えてやってくると、軽く練習を開始。白いチームのTシャツに身を包んだ丹羽涼介も、その中で笑顔を見せながらグローブを手にした。
細身ですらっとした立ち姿は相変わらずだ。高校野球を引退し、夏休みを経た3年生はこの時点で体型が少し変わっていることはあるが、丹羽は現役時代そのままだった。
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夏休みは満喫できたのかを問うと、丹羽の口からこう返ってきた。
「甲子園、見に行っていたんですよ。智弁の試合を……2試合、見に行きました」
聞くと初戦の社戦、準決勝の横浜戦を現地観戦したという。
これまでの丹羽のクールなイメージからすると、ライバル校の試合など、むしろ見たくないのではと勝手な印象を持っていた。だが、やはり県で何度も戦ったライバルの勇姿を見届けたかったのと、小・中学校でチームメイトだった背番号12の井戸本陽向の応援のため、聖地に駆けつけたのだという。
「(準決勝の横浜戦で)楠本(龍生)がホームランを打った時、スタンドが揺れていました。すごかったですよね」
智弁の打者は「生き生きとバットを振っていた」
当時の衝撃を丹羽はやや興奮気味に口にする。そして5年ぶりに全国制覇を成し遂げた智弁和歌山の打者について、こんな印象も持っていた。
「智弁和歌山のバッターは、甲子園に来てから生き生きとバットを振っているように見えました。そこが県大会とは違っていたような気がします」

