- #1
- #2
甲子園の風BACK NUMBER
“甲子園優勝”智弁和歌山を「最も苦しめた男」は何者だった?「甲子園、見に行ったんですよ」まさかの「夢は美容師」だった“公立校の151キロ右腕”の軌跡
text by

沢井史Fumi Sawai
photograph byHideki Sugiyama
posted2026/09/02 11:03
全国制覇を果たした智弁和歌山の売りでもある強打を抑え込んだ、和歌山の公立校の「151キロ右腕」とは何者だったのか
夏までにもう時間はない。もう一度自分を見つめ直すべく、体幹を作り直すためのトレーニングやウエイトトレーニングを敢行した。だが、すぐに上手くいったわけではない。
半田真一監督も当時の丹羽についてこう明かす。
「バランスが崩れて球速も落ちて、毎日フォームが違う。もう、もがいていましたね。丹羽自身、どこかこうイライラしているようにも見えました。でも、夏の話に触れると本人は“夏は絶対にやります”って言うんですよ。
ADVERTISEMENT
気持ちはちゃんと夏に向いてはいたと思うんです。夏こそは智弁を倒して甲子園に行くという覚悟はできていたと思うんですが、実際は気持ちと身体がなかなかマッチングしない。だから、見ていて痛々しかったですね」
「このまま野球をやっていていいのかな」
フォームに関して、丹羽はこんな話もしていた。
「(今年の)春くらいに、山本由伸投手(ドジャース)のフォームを参考にして投げていた時期があったんです。智弁和歌山戦後にそのフォームで投げてみようとか試したんですけど、うまくいかなくて。その後に去年のセンバツの時のフォームに戻してもダメで。何をやってもしっくり来なくて、このまま野球をやっていていいのかなと思ったこともありました」
小園健太(DeNA)ら主に投手を指導してきた舩津直也副部長(現・箕島高監督)がこの4月に異動したことも少なからず影響はあった。この時期が丹羽にとって「高校に入学して一番苦しかった時期」だったという。
練習試合でも直球の球速は140キロはおろか、130キロ台後半まで落ち、NPBスカウトの中でも「丹羽が大変なことになっている」という言葉すら聞かれはじめていた。
<次回へつづく>

