- #1
- #2
甲子園の風BACK NUMBER
“甲子園優勝”智弁和歌山を「最も苦しめた男」は何者だった?「甲子園、見に行ったんですよ」まさかの「夢は美容師」だった“公立校の151キロ右腕”の軌跡
text by

沢井史Fumi Sawai
photograph byHideki Sugiyama
posted2026/09/02 11:03
全国制覇を果たした智弁和歌山の売りでもある強打を抑え込んだ、和歌山の公立校の「151キロ右腕」とは何者だったのか
県大会5試合、甲子園で5試合。
智弁和歌山が今夏の全国制覇に至るまで戦った計10試合で、同校の打線を最も抑えたのは、実は丹羽だった。県大会準々決勝で対戦し先発。敗れはしたが、4回2死まで無安打投球など9回を投げ切り6安打2失点だった。
この試合以前に丹羽は3度、智弁和歌山打線に相対している。智弁和歌山打線には慣れていたのでは、と思いがちだが、この夏の快投に至るまでの道のりは決して平坦ではなかった。
ADVERTISEMENT
丹羽は市和歌山では1年春からベンチ入り。秋には投手陣の一角を担い、秋季近畿大会に出場した。準決勝の智弁和歌山戦。1-6とリードされた8回に4番手投手として登板したのが智弁和歌山戦の初登板だった。
結果は2安打を許すも無失点。直球は137キロをマークするなど1年生としては上々の内容だった。
丹羽は和歌山大会のメイン球場の紀三井寺球場近くで育った生粋の“和歌山っ子”だ。当然、智弁和歌山の県内での強さは、幼い頃から肌で感じてきた。
「とにかく名前負けはしないようにと。その思いだけは持ちながら投げるようにしてきました」
昨春のセンバツで好投…一躍「プロ注目」の投手に
その翌春、つまり昨春センバツは智弁和歌山とのアベック出場を果たした。
市和歌山は初戦で横浜と対戦。先発したエースの土井源二郎から引き継いで3回途中から登板した丹羽は、のちに優勝することになった強力打線を相手に6回2/3を投げて2安打1失点。奪三振は8個を数えた。直球は秋から10キロアップの147キロをマークするなど上々の数字を残し、「あの2年生右腕は誰なんだ」と、丹羽の株は一気に跳ね上がった。
直後の春の県大会ではその直球の球速が150キロに届き、来秋のドラフト候補と言われるまでになったが、そこから丹羽の苦悩の日々が続くことになる。

