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スパイと呼ばれた韓国人「日本に行くために22歳で結婚した」韓国でエリート大学生だった盧廷潤はなぜJリーガーになったのか「広島は本当にいいチームだった」
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キム・ミョンウKim Myung Wook
photograph byNumberWeb
posted2026/08/27 11:06
ソウルで取材に応じた盧廷潤(55歳)
1年目の年俸は2000万円。世界的スターが集った創設期のJリーグにおいて“外国人選手”としては決して良い条件ではなかったものの、待遇は自分次第で変えられる。だが、若かりし頃の盧は生活面の適応に苦しんだ。今西総監督は「日本語を勉強しなさい」と命じ、通訳をあてがわなかったという。他の外国人選手とともに、週1〜2回ほど日本語学校へ通っていた。
「テレビを見ても何も意味が分からない。ひらがなとカタカナを1日6時間かけて覚えました。通訳がいないなんて、今ならあり得ないですよね。エージェントもいなかったから、契約も自分でしないといけなかった。もちろん、ミーティングは日本語と英語だけ。私は『はい、はい』と言って、ひたすらサッカーをするしかなかった。大学を出たばかりで、車の運転も初めてでした」
W杯に駆けつけた広島サポーター
半年ほどで簡単な受け答えができるようになると、チームメートとの距離も縮まり、翌1994年は飛躍のシーズンとなった。広島のサントリーシリーズ(第1ステージ)初優勝に貢献し、同年のアメリカW杯にも出場した。
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「当時、W杯にJリーグから韓国代表として参加したのは、私だけです。嬉しかったのは、アメリカ会場まで広島のサポーターが来てくれて、『盧さん、頑張って!』と応援してくれたこと。当時、韓国を応援する日本人なんて、ほとんど考えられない時代でしたから。今も強く印象に残っていますよ」
過酷な毎日だったからこそ、30年以上前の記憶も鮮明だ。プロサッカー選手としての土台を築いた広島への思いは深い。
「広島でなければ、私は成功できなかった。みんなが本当に助けてくれたから。どれだけうまい選手を集めても、個人だけでは優勝できません。ベテランと若手、コーチ陣、それぞれがうまくつながって、初めてチームになる。広島は本当にいいチームだった。その中心に森保さんがいたのは間違いないです」
後に日本代表を8年間も率いる男の“気配り”を、盧はずっと尊敬の眼差しで見つめていた。〈つづき→第2回〉


